釧路戦記

第六章
 どこから来るのか。五十人の隊の真只中を突破すると、息つく間もなく後続部隊が現れた。その数三十。重機を振り回しながら、その隊の中を突っ切り、約十五の敵兵を血祭りに上げる頃、トロッコは尾根の上に出た。左前方に、二十メートルほど周囲の丘陵から盛り上がった小高い丘がある。
 丘を見たら要塞と思え。雲間から差す月明かりの中で目を凝らしてみれば思った通り、砲台がある。
「止まれ! 自走砲、あの砲台をやれ」
 自走砲が火を噴く。私も、直接照準で迫撃砲を発射する。夜の山野に響く爆音は聴く者の心に何か感慨を与える。
 やがて砲台が煙に包まれた。煙が流れると、そこには瓦礫の山があった。
 さて、ようやく一息ついてみると、明らかに私達は本隊から離れてしまっている。周りにいる兵を見回しても、知っている顔は殆ど無い。これは厄介な混成部隊だ。私の乗ったトロッコが走り去るのを見て、やみくもに追いてきた兵士達ばかりなのだ。
 前方から一群の人影が接近してきた。敵か味方か? ごく接近してきたところで凝視してみれば、何と第三波の敵部隊である。
「射て――っ!」
 敵であると確認するや否や私は叫んだ。銃が一斉に火を噴く。私は重機弾を敵部隊に注ぎ込んだ。敵部隊は忽ち退却を始めた。
「逃がすな! 追え!」
 トロッコが走り出した。自走砲が動き出す。緩やかに起伏する丘陵地を、トロッコ、自走砲、二十人の兵士からなる一群は遁走する敵を追走する。
 遂に、篠の生い茂る狭い沢に敵を追いつめた。敵はこの頃までには少なからぬ脱落者を出し、当初四十ばかりあった兵力は二十ばかりにまで減っていた。私が何も命令を下さぬうちに、兵士達は沢の底にいる敵部隊を取り囲み、一斉銃火を浴びせた。私もトロッコの上から重機を射かけた。三方を包囲され、もう一方には湿原、追いつめられた敵兵は銃火の餌食となり、篠を血に染めて全滅した。
「済んだか。よし、休止だ」
 私は皆に告げた。走り続けた兵士達は勿論だが、私も昼からの戦闘に疲れていた。携帯食糧を水で流し込み、トロッコの上でしばし休んだ。
 いつまでも興奮と激情に身を委ねる訳にはいかない。私は状況を把握しようと努めた。私達が今いる所はどこか? まずこれから考える。砲台のあった小高い丘は、地図の上でもかなり目立つ、二十八番川源流の七一メートルの丘だ。ここから尾根筋の上を、二十分ばかり走ってきたのだから……風蓮川の南岸の丘の上に違いない。北の開南集落の西北方にあたる筈だ(開南集落というのは二つの集落だが、それぞれの間は二キロ離れている)。
 私は無線機を下ろし、中隊長を呼んだ。
「TMH、こちらTYY。応答願います」
 中隊長の急き込んだ声が聞こえた。
〈TMHだ。TYY、どこにいるんだ!? どうぞ〉
「あ……風蓮川と三十番川の間の丘の上です。どうぞ」
〈困るな、勝手に走られては〉
 予想通りの叱言だ。
〈これからどのように行動する予定だ? どうぞ〉
「本隊に戻ります。どうぞ」
〈そうしろ。だが……三十八番川北東方は敵が占領している。かなり強力な部隊だ。この方向からは難しいだろう。どうぞ〉
「そうですか。じゃ、十九号道路を南進します。南の開南集落で落ち合いましょう。どうぞ」
〈わかった。時刻は二三○○でいいか。どうぞ〉
「二三○○、了解」
〈了解、以上〉
 午後十時五十五分、南の開南集落に着いた。本隊はまだ来ない。南の開南集落は南北に走る十九号道路と東西に走る九線道路の交点にあるが、本隊は九線道路から来る筈だ。
 十一時二十分。本隊は来ない。私は無線機を取った。
「TMH、こちらTYY、応答願います」
〈こちらTMH。TYY、どうぞ〉
「TYYです。どこにいるんですか? どうぞ」
〈北三号と西十五線の交点だ。どうぞ〉
「何でそんなところにいるんですか!? どうぞ」
〈西十七線から九線へ通ずる道は敵の強固な部隊があって通れないのだ。戦闘の結果断念せざるを得なかった。どうぞ〉
「西十六線から二十三号へ通ずる道はどうですか? どうぞ」
〈そこも通れない。三十五番川北岸の、二十一号より西は敵が占領している。どうぞ〉
「どの程度の戦力なんです、敵は? どうぞ」
〈約二百だ。背面攻撃も無理だろう。どうぞ〉
「何とか二十五番の南岸に出ます。合流指示を下さい。どうぞ」
〈ちょっと待て、E大隊と協議する。以上〉
「了解、以上」
 今頃になって気付いたが、十九号道路の南の方では熾烈な戦闘が行われているようだ。私は、二十人のうちで顔を知っている数少ない兵の、木島と小林に命じた。
「斥候を命ずる。この道を南へ下って行け」
「はい、斥候に行きます」
 十分ばかり経ったか、無線機が鳴った。
「こちらTYY」
〈TMHだ。EI中隊と協議したが、どうも合流は困難なようだ。十九号も、二十一号も敵に分断されている。目下EI中隊本隊は三十五番と五十一番の間の地域の敵と交戦中だ。以上〉
「了解」
 どうやら私達は、本隊と完全に分断されて孤立状態にあるらしい。九線と三十五番川の間の地域は、中隊長からの報告では全面的に敵に占領されているらしい。こちらに充分な――歩兵一個中隊若しくは戦車数両の――戦力でもあれば背面攻撃で敵を挟撃できるが、この兵力では奇襲は困難だ。
 開南から四方へ通ずる道路のうち、北へ行っては戦線離脱である。南の十九号は敵に分断され、西の九線も分断されている。となれば東の八線だけだが、この道を通るとすると、東円朱別までかなり遠回りになるだろう。これでは困る。私は自走砲に命じた。
「東の方の斥候に行ってくれ。上風蓮から東円朱別へ通ずる道が通れるかどうか」
 自走砲は八線道路を走り去って行った。この時私は失策に気付いた。自走砲との通信手段が無い。ハンディトーキーの符号を知らないのだ。
 十分ばかり経った。自走砲が戻ってきた。二本線の兵が私に言った。
「東円朱別へ通ずる道は、ノコベリベツ川の橋が占領されている。通れそうにない」
 南の方から駆け戻ってくる兵士があった。小林が戻ってきたのだ。小林は、私の前に駆け寄った途端、ばったり倒れた。
「どうした!? 大丈夫か!?」
 私は彼の肩を掴んで揺すぶった。彼は、顔を上げると、か細い声で言った。
「南から……敵が来ます」
 この言葉を言い残して彼は息絶えた。
「どうすればいいのだ!?」
 私は叫んだ。その時、北からも銃声があった。中矢臼別の方から来たのに違いない。
 北から敵、南からも敵、西は敵に阻まれ、東も通れぬ。どうすればいいのだ。
 待て待て。こういう時こそ、落ち着いて冷静に状況を把握するのだ。地図を見よう。私は自走砲の車内灯の下で、地図を広げた。
 見よ、ここから東円朱別へ通じる鉄道があるではないか。線路伝いに行けば、安全にノコベリベツ川を渡れる。トロッコは走れるか。レールには載らなくても、路盤の上なら走れるに違いない。私は自走砲の兵に言った。
「無線機持ってるか? ハンディトーキーじゃなくて。持ってるなら、まだ聞いてなかった、符号教えてくれ」
「TSNだ。お前のは?」
「TYYだ。東へ行って、橋を強行突破して行け。我々は、線路伝いに行く」
 私は皆を振り返って命じた。
「ここから南へ百メートルの所に、線路の終点がある。線路伝いに行く。急げ!」
 私達は南へ走った。線路の終点には、一両の客車が停まっている。これを走らせられれば、自走砲より速く行くこともできようが、今の我々には無理だ。二十人がかりで、トロッコを路盤に載せた。
「急げ! 敵が来るぞ! 早く!」
 ようやくトロッコを路盤に載せたその時、南方から銃声が聞こえた。私達は無我夢中でトロッコを漕いだ。トロッコは砂利敷の路盤の上を、揺れながら走る。
 十分ばかり走ると、ノコベリベツ川の橋にさしかかった。ところが、橋の幅が狭すぎてトロッコが渡れそうにない。この鉄道のレールの幅は、国鉄よりずっと狭いのだ。
 私は、トロッコを停めさせ、二、三人の兵に言った。
「ここから少し戻ったところの右側に、小さい道がある。その道に、この川を渡る橋がある筈だ。トロッコが渡れるかどうか、見て来てくれ」
「了解」
 三人が今来た道を戻ってゆくと、私は他の兵達に言った。
「橋に爆弾なんかが仕掛けられていないかどうか、検査しよう」
 私達が橋の検査を始めて程なく、三人が戻って来た。三人の報告によると、道は地面が軟弱で、満載のトロッコははまるだろうし、橋は粗末な木橋で、到底トロッコは渡れないだろうということだ。となれば、この狭い鉄道橋を渡らねばならぬ。
 橋の検査が終わった。橋は安全に渡れそうだ。私達は、トロッコに積まれた物資を下ろし、皆で担いで橋を渡った。それから今度は、数人がかりでトロッコの後部を持ち上げ、押したり引いたりして橋を渡った。
 トロッコに物資を積み直し、線路上を再び走り始めた。橋を渡るのに、小一時間かかってしまった。自走砲はどの辺にいるだろうか。
 川を渡ってから走るうちに、前方から激しい銃声が近づいてきた。交戦中の部隊が近くにいることは間違いない。銃声は、丘の上へ登ると一層響いてきた。畑の中を走ると、銃声は更に大きくなる。しかし、銃声の源の姿は見えない。源の部隊を攻撃すべきか、回避すべきか。敵か味方かも定かでない今、軽挙妄動は慎まねばならぬ。仮に味方が同士討ちしているとしたら、これを攻撃することは二重同士討ちという最悪の事態になる。私はトロッコを停め、無線機を取った。
「TMH、こちらTYY。応答願います」
〈こちらTMH。どうしたのだ〉
「現在、東円朱別西北一キロの地点にいます。東円朱別集落付近にいる部隊は、味方ですか? どうぞ」
〈突拍子もない事を訊かれても困る。俺にはわからん。以上〉
「そうですか」
 とは言ったものの私も困る。何しろ月は無し、漆黒の闇だ。私は皆に言った。
「降りるぞ。銃声の源を調べに行く。半分はここに残れ。もう半分は俺に続け」
 私は、十三人の兵士を連れて、線路上を歩いて行った。暫く行くと林に入り、銃声は激しさを増した。もう数百メートルに迫った筈だ。そろそろ流れ弾が飛んでくる頃だ。
 匍匐前進で林を抜けると、すぐ目の前が陣地だ。銃弾が飛び交い、流れ弾が木々に当たっては弾ね、空気を切り裂いて耳をかすめる。私は陣地の後方の、衛生兵が負傷兵の手当をしている所を凝視した。間違いない、敵だ! 勢力は……三十と無い。いけるぞ!
 私は銃の引金を引いた。十三人の兵士達も続いた。効果的な襲撃の一つ、背面攻撃だ。突然出現した背後の伏兵に、敵は混乱した。
 さて私は、十三人が盛んに射ちまくる中を、そっと線路伝いにトロッコに戻った。そこにいた十人余りの兵に、私は言った。
「行くぞ!」
 私はトロッコを発進させた。敵陣の近くにトロッコを停め、トロッコに随いてきた十人余の兵と共に敵を襲撃する。敵は忽ちのうちに壊滅した。私は敵兵の全滅を確認してから、友軍の指揮官を捜した。しかし見つからない。月の無い漆黒の深夜である。遂に私は諦めて、部下の兵士達の所へ戻った。今のところ人員の損失は無い。
 さて今いる場所は北十号と西八線の交点、東円朱別集落付近だ。左翼本隊に合流することが先決だ。私は無線機を取った。
「TMH、こちらTYY」
〈こちらTMH〉
「どうにか包囲を破りました。現在地は北十号と西八線の交点。今後の作戦指令を仰ぎます」
〈本隊は現在、北五号と西十五線の交点にいる。北六号付近から敵の側面を攻撃して、本隊に合流せよ。○三○○頃を目途にしろ〉
「了解」
 今は一時十分。中円朱別までこの道を行けば、充分に間に合う。装甲車はどうしたろう? 私は装甲車を呼んだ。
〈こちらTSN。TYY、どうぞ〉
「こちらTYY。現在位置を報告せよ。どうぞ」
〈現在位置は北九号と二車線道の丁字路だ。橋は通過した。どうぞ〉
「作戦指令があった。○三○○までに、北六号方面から敵を側面攻撃せよ、と。どうぞ」
〈わかった。中円朱別で落ち合おう。時間を決めておこう。どうぞ〉
「○一二○でいいか? どうぞ」
〈○一二○、了解〉
 敵の主力はノコベリベツ川より西にあるようだ。全く何の妨害も受けずに、トロッコは中円朱別に入った。ここで線路は北四号道路と交差する。この踏切の少し手前で、私はトロッコを停めた。踏切の近くに、自走砲が止まっている。私はトロッコから降りた。自走砲の二本線の兵に言った。
「遅くなった。砂利道でトロッコを漕ぐのに、皆疲れている。自走砲に物資を積めないか?」
 二本線の兵は答えた。
「全部は無理だ。半分くらいなら何とかなるかも知れん」
 物資というのは、要は重機二挺と二百発弾帯七本、百発弾帯十本余りだ。私達は、二百発弾帯の全てを自走砲に積み込み、百発弾帯と重機の本体をトロッコに残した。
 私達が、自走砲とともに中円朱別を後にしたのは午前零時半であった。空は雲に覆われ、星明りさえもない真暗闇の中を、自走砲の前照灯だけを頼りに進撃する。
 ノコベリベツ川に架かる橋には、一兵の敵もなく、数人の友軍兵士がいた。ここを通り過ぎると、やがて北四号と西十線の交差点に差しかかる。私は隊を止めた。
 ここから敵の側面を狙うとすれば、当然西十線を通り、三十五番川を渡って、左へ分れる道を進むことになる。しかし三十五番川を渡れるか? たった一時間前には敵に占領されていて、左翼本隊さえも通れなかった地区である。私は自走砲の二線の兵に言った。
「この右の道を通って、三十五番川を渡れるかどうか偵察してきてくれ」
「わかった」
 自走砲は西十線道路を走って行った。数分後、無線機が鳴った。
「こちらTYY」
〈こちらTSN。三十五番川に架かる橋は、味方が確保している。以上〉
「了解」
 さあ進撃。……ちょっと待て! 一時間前に敵が占領していた橋を今、味方が確保しているということは、そこで戦闘があったことを意味すまいか? ということは、敵は、この方面の我が軍の存在を知っている。これで奇襲の効果があるだろうか? 無いとしたら、たった二十数名の戦力で攻撃をかけるということは殆ど自殺行為である。私は無線機を取った。
「TMH、こちらTYY、応答願います」
〈こちらTMH〉
「TYYです。今現在、北四号と西十線の交差点にいます。どうぞ」
〈随分早いな。早速、三十五番を渡って攻撃をかけろ。どうぞ〉
「その事ですがね。三十五番川の橋は、幾らか前に我が軍が敵から奪った橋ですね。ということは、敵は、その方面からの我が軍の攻撃を考慮している、いや、確信している筈です。そこへ、たった二十何人の戦力で攻撃をかけるのは殆ど自殺ですよ。それをやれと言うんですか? どうぞ!?」
〈落ち着け。状況が変わった。その三十五番の橋から、我が軍の主力部隊がほんの先刻進撃したのだ。だから今、敵軍の正面は十九号側にあるのだ。どうぞ〉
「あ、そうですか。すると……左翼本隊は? どうぞ」
〈右翼本隊と合一して、西十六線と十七線から川を渡り、敵を主力と挟撃している。今俺は三十九番川の右岸にいる。どうぞ〉
「わかりました。主力に続いて行きます。以上」
〈よろしい。以上〉
 どうも敵の総崩れは、当初の予想よりかなり早まったらしい。今現在、我が軍の三隊が全て三十五番川の北岸に達しているのだから。私は隊を出発させた。
 二時二十分、三十五番川の橋を渡った。十九号道路の西方一帯は激戦場だ。敵兵が西から、三々五々逃げてくるようだ。敵軍は潰走状態にあるようだ。道に沿って兵力を展開し、敗走してくる敵兵を、次々に射倒した。
 三時頃、敗走してくる敵兵は無くなった。私達は散兵線を作ったまま西方へ前進した。銃声、砲声は次第に遠のいていく。敵軍が後退していくのか。私達は更に足を早めて、西北へ進んで行った。
 次第に明るくなってきた林の中を進んで行く時、ふと右手に人の気配を感じた。
「右に敵がいるぞ」
 右前方、わずか十数メートルの距離に、十数人の敵兵がいる気配がした。敵が気付いたかどうかは知らない。私の銃は火を噴き、二十挺の銃の一斉射撃に、数秒のうちに敵兵は大部分倒れたようだ。あっという間の出来事であった。
 四時、東の空に日が昇ってきた頃、銃声は絶えた。敵の抵抗は終わったらしい。私の銃も、弾はあと弾倉一つ残すだけであった。
(2001.1.30)

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