釧路戦記

第三章
 私達の隊――関東大隊は北方部隊であり、
 ・主力 関東第一中隊・関東第二中隊
 ・右翼 関東第三中隊・関東第四中隊
 ・左翼 東京第一中隊・東京第二中隊
 ・加農砲隊 大隊砲兵隊
 ・航空偵察 本部直属航空隊
 からなり、総兵力約千人の部隊である。左翼部隊は二八九人、吉川小隊は私の班と河村班、石塚班、三木班の四班で、吉川小隊二十九人は、うち六人が二人ずつ組んで重機三挺を持ち、また四人が迫撃砲二門を持ち、他を援護する――これは吉川小隊は独立行動をとることによる。
 作戦は、まず航空偵察機が敵の拠点を観測し、この報告によって加農砲が砲撃し、この頃までに歩兵部隊は敵に接近する。そして一八○○から夜にかけて戦闘を行う。主力は三股から茶内原野に通ずる道に沿って進攻し、右翼はトライベツ川の右岸を進攻し、中チャンベツからくる道を通って側面から攻略する。左翼は円朱別原野東方の三郎川方面から攻略する。さらに、南方部隊中部大隊(北陸第一・北陸第二・東海・甲信・中京中隊総兵力約七百人)が茶内から、西方部隊知安別分隊(中国第一中隊・第二中隊総兵力約二五○人)が別寒別牛川方面から進攻し、敵勢力を包囲殲滅するという大作戦である。
 左翼部隊は他の部隊より少し早く出発した。釧路方面からトラックの来る道を通って川沿いにゆき、南十四番川と分れていくらか行ったところで左側の沢に入る。八一・七メートルの三角点の傍らを通り、南十八番川の谷に入る。さらに右岸の沢に入ってゆき、南二十番川の沢に入ったところで、本隊と別れ、一個小隊での行動となった。私達の任務は、南二十三番川から二十六番川方面の敵の掃討である。一九○○以前に本隊に合流可能であったら、合流して円朱別原野に向かう。
 一列縦隊で、先頭から私、酒井と谷口、西川、石田、橋口と寺田、荒木、古川、君塚、三木、五十嵐、和田、細谷、小林、浅野、石塚、山村と山本、鈴木、岸本と桐野、貝塚、小笠原、片山、磯部、林、宮川、河村である。酒井、谷口、橋口、寺田、それに山村、山本、岸本、桐野の合計八人が、重機、迫撃砲、それぞれの弾薬などを積んだ二台のトロッコを動かしている。各自の武器は銃一挺、弾倉(二十発入り)十五個、手榴弾五個、銃剣一本、さらに重機の弾帯(百発入り)一本または迫撃砲の弾丸六個を持つ。トロッコには、重機三挺、迫撃砲二門、重機の弾帯(二百発)五十本、迫撃砲の弾丸五十発が積んである。河村、石塚、三木がハンディトーキーを持ち、私は双眼鏡と無線機を持つ。本隊と別れてから、南二十番川に沿って下り、両側が土崖になっている浅い沢を上り、六七メートルの丘に出た。このへんは見渡す限りの荒蕪地で、沢にはヤチハンノキなどの喬木が密生する。全く日本離れした土地である。
 南二十一番川の沢を横切り、六六メートルの丘に登る。このへんの陵線の標高は六○メートルから七○メートルであるが、南西の方には八○メートル以上の陵線があり、この上を茶内原野に通ずる道が通っている。真南に八○メートル、東南東に七九メートル、東北東に七七・四メートルの一きわ高い丘がある。私は小休止を命じた。午後四時。本隊は三郎川水系と風蓮川水系を隔てる丘にかかった頃だろう。私は双眼鏡で、辺りの丘を見回した。
 と、手が止まった。東南東の七九メートルの丘の頂上付近に、明らかに人造の構築物がある。コンクリートのトーチカだ。榴弾砲のような物も見える。陸上自衛隊の砲か? 考えられない事ではない。私は無線機を下ろした。
「TMH、TMH、こちらTYY、応答願います」
〈こちらTMH。TYY、どうぞ〉
「南二十三番川と南二十五番川の中間、七九メートルの丘にトーチカを発見しました。敵の物でしょうか。どうぞ」
〈敵の物だ。攻撃せよ。どうぞ〉
「了解。攻撃します。以上」
 私のやりとりを聞いて、全員緊張している。
「ここは遮蔽物がない。反撃して来たら危険だ。河村、全員を連れて、向こうの斜面へ下りろ」
「よしきた」
 河村達は北西の緩やかな斜面を下ってゆき、私一人が残った。地面に伏せる。
〈矢板! 次の指示頼む〉
 河村の声だ。
「よし。俺のいた所からそこまで、どのくらいある? どうぞ」
〈二百五十メートルくらいだ。どうぞ〉
「浅い沢だな? どうぞ」
〈そうだ。迫撃砲の準備は終わった。どうぞ〉
「よし。じゃ行くぞ。方位角……一一六度、距離一四五○メートルだ。以上」
〈方位角一一六度、一四五○メートル。了解〉
 私は双眼鏡でトーチカを見張った。後ろの方から小さい爆音が聞こえてから十秒余りして、トーチカが煙に包まれた。四秒後、爆音が聞こえてきた。
「弾着修正はしなくていい。以上」
〈了解、弾着修正なし。以上〉
 ところが、よく見るとトーチカは全然破壊されていない。またトーチカが煙に包まれた。と、三秒くらい後、私の右側ほんの数メートルの所で爆発が起こった。私は左側へ転がった。音が聞こえない。頭がくらくらする。私は飛び起きると、河村達のいる所へ向かって全速力で駆け降りた。
「…………」
 河村が怪訝そうに何か言う。聞こえない。
「聞こえない!
 敵が応戦してきたぞ。迫撃砲は全然だめだ。俺は受け答えできないから、河村、本部の砲兵隊呼んでくれ。徹甲榴弾を頼むって。これを、Tに合わせるんだ」
 丘の上では、まだ二、三発爆発が起こっている。河村が無線機を操作する。
「…………」
 私は鼻をつまんで、耳へ強く空気を送った。と、耳が治った。河村が喋るのが聞こえる。
「TCH、TCH、こちらTYK、応答願います」
〈…………〉
「敵のトーチカを発見、砲撃しましたが全然効き目ありません。応援頼みます。どうぞ」
〈…………〉
「目標位置は……おい、矢板……そうか、聞こえないんだったな」
「もう治った。俺が知らせる」
 私は河村から無線機の受話器を受け取り、喋り始めた。
「目標位置は、南二十三番川と南二十五番川の中間の、七九メートルの丘の頂上やや西側です。どうぞ」
〈通常弾でいいか? どうぞ〉
「徹甲榴弾でないと無理です。以上〉
 私は河村から無線機を受け取ると、丘の頂上へ再び登って行った。
「おい、やられるぞ」
 河村が言う。
「大丈夫だ。弾丸の穴が塹壕代りになる。弾着観測やらなきゃならんのだ」
 先の至近弾でできた穴の縁の、土の盛り上がりの陰に隠れ、双眼鏡でトーチカを見張った。
 トーチカの手前百メートルくらいの所に爆発が起こった。私は無線機を取った。
「TCH、TCH、こちらTYY。応答願います」
〈こちらTCH。弾着観測報告願う。どうぞ〉
「修正、百メートル東北、百メートル東北へ。どうぞ」
〈修正、百メートル東北。了解〉
 第二弾が来た。トーチカのすぐ近くで爆発が起こった。
「第二弾弾着、修正要りません。以上」
〈第二弾修正なし、了解〉
 いよいよ斉射だ。八発の徹甲榴弾が次々とトーチカに命中し、爆音はあたりに響く。第六斉射で、もうトーチカは原型をとどめぬコンクリートの廃虚となり、敵の砲は沈黙した。
「TCH、こちらTYY。トーチカは破壊されました。霰弾に替えて下さい。どうぞ」
〈砲撃は中断する〉
「!?」
〈砲撃中断だ。本隊から、円朱別原野を砲撃するよう指令があった。以上〉
「わかりました。以上」
 私は丘の斜面を降りた。
「トーチカは完全に破壊された。行こう」
「そうだな。行くか」
 私達は、丘を越えて南二十三番川の谷へ下って行った。双眼鏡でトーチカの跡を見ても、人影も見えない。一五五ミリ徹甲榴弾四十九発で、完全に叩き潰されたようだ。丘を登っていく途中でも、一発の銃撃さえも受けなかった。
 トーチカの跡に着いた。コンクリートの壁がいくらか残るだけで、天井は崩落して原型をとどめていない。中にあったと思われる加農砲は完全に破壊されている。あたりには兵士の死体や弾丸の破片、コンクリートや鉄骨の破片が散乱している。
「これは四七ミリだな。こんな小さい奴しか作れないようじゃ、敵の工業力は恐るるに足りないな」
 河村が言った。私は頷いた。
「そうだな。これくらいのだから、あんな至近弾喰らって助かったんだな。一○五ミリ榴弾なんかのあんな至近弾喰らってたらお陀仏だったろな」
 私は無線機を取った。
「TMH、TMH、こちらTYY、応答願います、どうぞ」
〈こちらTMH。TYY、どうぞ〉
「七九メートル丘を確保しました。南二十五番川方面へ向かいます。以上」
〈了解〉
 谷口が、砲身の破片を拾い上げ、酒井に言っている。
「よく見ろよ。ライフリングしてないぞ」
「どれどれ……あ、本当だ」
「奴等の小銃もそうなんじゃないか? ……そうだ。これもライフリングしてない」
「お粗末だな。火縄銃並みじゃないか?」
「そうだろ」
 不意に谷口が語気を荒げた。
「こんな武器の面汚しみたいな物で俺達と戦おうなんざ、身の程知らずの極致というもんだ!」
「まあ、基礎訓練のつもりでやろう。本気になってカッカしない方がいいぜ」
「さあ、出発だ」
 私達は、丘陵の尾根の上を進んでいった。トーチカは完璧に破壊されていたため、何一つとして押収できた物はなかった。
「次のトーチカはもっと上手くやろうぜ」
 河村が軽口を叩く。
 七二メートルの丘――と言っても極めて起伏が少ないため、地図なしで歩いていてはわからない――に着いた。木が茂っている。私は小休止を命じた。双眼鏡であたりを見回す。四時四十分。
「!」
 二百メートルばかり離れた浅い沢を、一群の兵士が上って来る。敵だ!
 私は河村を手招きした。
「何だ?」
「見ろ。敵だぞ」
「どうするんだ?」
「重機で始末するだけだ」
 私は酒井、谷口、貝塚、宮川、山本、鈴木を手招きした。
「敵が現れた。六人でそいつを持っていって敵を始末しろ。弾帯は誰かに持って来させろ。這って行くんだ。いいか」
「はい、重機、行きます」
 六人と、それに西川、小笠原、桐野を加えた九人は、重機とその弾帯を持って這っていった。一分ばかりして、
 ダダダダダダッ! ダダダダダッ!
 重機の発射音が聞こえてきた。
 ところが突然、意外な事が起こった。鞍部の向こう側にある丘から煙が立ち昇ったかと思うと、三十メートルばかり手前に、爆発が起こった。
 ドカ――ン!
 ドカ――ン!
 私は木の根元にうずくまった。河村が這ってきた。私は言った。
「あの丘に陣地があったらしいな。見落としてた」
「偵察機は一体何見てたんだ!?」
「そんな事はいい! 迫撃砲だ!」
 河村は後ろへ戻って行った。敵の砲撃はまだ続く。
「おうい、準備できたぞ! 指令出してくれ」
 後ろから河村の声がした。
「よし、いくぞ。方位角二一五度、距離四二○。まず一発だ」
 私は双眼鏡で、敵の陣地を見張る。
 九人が逃げ帰ってきた。山本が報告した。
「銃撃続けられません。私と鈴木の他至近弾で全員怪我しました」
 双眼鏡の視野の中に土煙が立ち昇ると、二秒余りしてから爆発音が聞こえた。
「おうい、どうだ?」
 河村の声だ。
「修正なし! ……発煙弾あるか?」
「え………。あったぞ。五発ある」
「よし、じゃそれをやってくれ。距離はそのままでいい。十秒に一発だ。
 石田、橋口、寺田、三木班全員! 俺が合図したら全速力で突撃しろ!」
 私は双眼鏡をポケットに押し込み、小銃を取った。
 バシュッ!
 後ろから音がした。敵陣地が白煙に包まれた。
「行くぞ!!」
 私以下、私の班と三木班の十一人は地を蹴って走り出した。敵の陣地の近くに白い濃い煙が立ちこめる。煙が薄れてくるとまた一発。今日は全く幸いに、風が殆ど無かった。煙が残っているうちに、私達は塹壕の数十メートル手前まで来た。木が一本倒れている。
「伏せろ!」
 私は言った。
「俺が手榴弾投げに行く。皆で援護しろ」
 真直ぐ前三十メートルばかりの所に、特に深い薮がある。私は身をひるがえして木陰から飛び出し、薮まで疾走した。もう塹壕は目の前だ。私は手榴弾を握り、ピンを抜いて、手榴弾を塹壕に投げつけた。
 ドカ――ン!
「突撃ー!」
 号令一下、十人は木の陰から飛び出し、銃を射ちながら走って来た。敵がひるんでいる間にもう一発投げ込み、塹壕に突進し、敵兵を銃で片っ端から射殺した。
「はぁ、はぁ、はぁ、あ――」
 私は、敵のいなくなった塹壕の縁に腰を下ろし、水筒の水を飲んだ。
 河村達がやってきた。重機を射ちに行った九人の他は、片山と和田と岸本が軽い怪我をしているだけだ。
「うまくやったな」
「大成功だ。お前の言った通りに、砲は残しといたぜ」
「こいつは使えるな」
 この砲は四七ミリ加農だ。弾丸も残っている。迫撃砲より口径は小さいのに重い。
「戦闘の極意は分捕りにあり、だ。こういう消耗戦では物資は勝敗を握ってるからな。敵のを分捕れば、こちらは一発の弾丸も使わんで済むってことだ」
 私が一席ぶつと、酒井が言った。
「こいつを円朱別まで引っ張ってくんですか? あと何キロあるかわからないのに?」
「誰も怪我人に引っ張れとは言わない。
 しかし怪我してないのと言うと? ……俺と河村と、石塚、石田、寺田、橋口、磯部、林、鈴木、山村、山本、荒木、五十嵐、君塚、古川、細谷、浅野、小林。…十八人か。
 よし、俺と石田と寺田と橋口、それに石塚、鈴木、山村、山本はトロッコだ。あと、三木班の三木と和田以外の五人と浅野と小林、砲を引っ張れ。弾丸はトロッコに積んで行こう」
「これ一発二キロ半ありますよ。四−五十発はあるから全部合せると百キロ越えます」
 片山が言った。
「そうか。じゃ河村、磯部、林、他の負傷者全員もだ。三−四発くらいずつ持って行け」
「この腕でですか!?」
 貝塚が叫ぶ。
「トロッコが壊れちまうぞ」
「わかりましたよ」
 麻縄で弾丸を縛り、肩の前後に振り分けて運ぶことにした。歩き始めてすぐ、
「班長」
 石田が私を呼んだ。
(2001.1.30)

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