岩倉宮物語

第三章
 現在、東宮は立てられていない。立てるに相応しい男皇子がいないからだ。皇弟教仁親王は廃され、帝の子と言えば五歳の久子内親王唯一人である。高仁親王は、血統から言って東宮に立てられる可能性は絶無である。と、すれば……私が伏見院の実子であると伏見院に認めさせさえすれば、私が東宮に立てられる可能性も残っている訳だ。ただそのためには、帝が男皇子を儲けるのを何としても阻止しなければならない。
 そうだ。帝の后妃を籠絡し、帝と后妃の仲を裂けば、后妃が子を産む可能性が低くなる。そればかりでない、愛する女が自分に背を向ける悲しみと苦しみを、心ゆくまで帝に味わわせてやる事ができる。もし仮に、私に惚れ込んだ妃が、私と帝の板挟みになって苦しんだ末に浮舟のように身投げでもすれば、帝の受ける打撃と悲しみはいか程か。愛する女を失う悲しみを、骨髄に浸みて思い知らされる事だろう。それこそ、私の思う壷であり、本来の目論見だ。それを実際、成功させるために、私は有力な武器を擁している。他でもない、この美貌だ。泰家に初めて指摘されて以来、つまらない事、むしろうとましい事とも思っていた事が、今や私の最も有力な武器となったのだ。太刀よりも弓箭よりも、毒薬よりも呪詛よりも、もっと強力に、もっと確実に人の心を蝕み、人を滅ぼし国を傾ける、この世で最も禍々しき物、それを私は持っているのだ。私が侍従として出仕するようになってから二年以上経つが、既にもう私の美貌に心を惑わされている女官や女房は少なくないらしい。帝や信孝が承香殿へ行く時、私も随いていく事があるが、承香殿付きの女房達の様子が、私のいる時といない時でかなり違うと、帝が言った事がある。――私は去年の八月、承香殿での読経の後、性覚が晴子に告白した言葉を思い出した。
「……私が持つ唯一の物、この容姿だけを武器に後宮の女を引き入れ……」
 今の私の狙う所は、あの時の性覚と、その本質に於て異なる所がない。ただ私には、不用意な告白をしたばかりにそれを盗み聞きされ、帝に待ち伏せされて素懐を遂げられなかった性覚の失敗という、心に留め置くに充分に値する先例がある。性覚の失敗は、それを失敗に終わらせるに少なからぬ役割を果たしたのは他ならぬ私だが、私にとって貴重な教訓となった。帝に直接、一太刀浴びせようとしたのが、性覚の失敗のその一であった。それに鑑みて私は、帝を直接害そうとはすまい。決して、帝に指一本たりとも触れない。その代り、一寸刻みになぶり殺されるのにも勝る苦しみを、存分に味わわせてやるのだ。この世に、一思いに殺されるに勝る苦しみが存在する事を、帝は我と我が身を以て知るのだ。
 さて、ではまず第一に、誰を籠絡するか。帝の寵愛の一番深い承香殿、これを攻め落とすのが、一番やり甲斐がある。帝に与える打撃も絶大だ。しかしこれは、最初の標的としては少々難関すぎないか。初めはもっと容易な所から攻めるのが上策だ。まず出城を陥して、それから本丸、である。そうすると。帝の妃はあと三人、藤壷と宣耀殿の両女御、それに桐壷更衣である。この三人のどれかを、最初に陥す事になるだろう。
 その夜私は、近江が里退りしているので、桔梗を部屋へ呼んだ。桔梗は今年十八歳になり、もうすっかり女房仕事が板に付いている。桔梗を真向いに坐らせて、私は尋ねた。
「桔梗には、どこかの邸に奉公しているような親姉妹とかはいるのかな」
 この時代の女房というものは、親類縁者がいろいろな所に奉公している事が多く、女房同士の縁戚関係や、その同僚関係まで辿ってゆくと、意外な所に繋っている事がある。上総宮邸にいた近江の同僚の少納言、その叔母が岩倉宮邸に奉公していて、それであの左開きの扇が私の手に入ったのだ。そこで私は、今度は桔梗の親類筋から、何か役立ちそうな繋がりはないか探ってみよう、と思い立ったのだ。
 桔梗は、私に親しく声をかけられたのが嬉しいのか、はきはきと答えた。
「ええ、私には姉妹はいませんし、母は武蔵へ下っておりますけど、伯母と従姉が京におります」
 これは何かあるかも知れない。私は殊更何気なく言った。
「伯母君がいるって話は、初めて聞いたな。伯母君の事、何か話してくれないか。もし何か、例えば生活に困ってるとか、そんな事でもあるんだったら、私としても知らん顔はしたくないから。貧乏ってのは、嫌な物だからね」
 桔梗は大いに感激した様子で、
「若殿様の御心遣い、忝うございます。ですが伯母は、暮らしに困るというような事はございませんわ。伯母は今、洛北の尼寺の庵主を勤めておりますが、大宰大弐をしておりました祖父の遺産がございますので、尼の身でつましく暮らす分には、暮らしに困るという事はございませんのです」
 大宰大弐というのは、大宰府の実質的な長官であって、中国・朝鮮との貿易の拠点を管理する職掌上、かなり実入りのある職と言われている。相当位も国守より高く、都からは遠いが受領達の渇望する職でもある。
「祖父君が大弐か。結構、いい家の出なんだね」
 私が少しおだててやると、桔梗は、
「いいえ、それ程でも……」
と言いながらも、得意そうな色を顔に出している。
「それで伯母君は、尼になる前は、どこかに奉公していたのかな」
 私が水を向けると、
「伯母は、右大将様の御姫君の、乳母を勤めておりました。従姉が姫君の、乳母子なのでございます。姫君には御姉妹もおありでなく、右大将様も御母君も、早くにお亡くなりになったので、伯母は姫君を、誰よりも大切に傳き申しておりました。従姉も一人っ子でしたので、姫君と従姉は、それはもう仲の良い間柄でした」
 乳母とは、乳母子とはそういうものだ。私にも乳母子がいたに違いないのだが、幼いうちに死んでしまったので、物心ついた頃には私は独りだった。
「私が物心つく頃には、姫君は右大将様の御遺言で既に御入内なさっておいででしたし、私より五つ年上の従姉も姫様にお伴して後宮へ参っておりましたので、私と従姉はそれ程親しい仲でもないのですが、時々文をやりとりしております。近頃では……」
 入内、だと? 私は桔梗の話の腰を折った。
「ちょっと。御入内、って言ったね」
 急に話を遮られて、桔梗はまごつく。
「え? は、はい」
「伏見院にか?」
 今年四十一歳の伏見院の妃だとすれば、かなり桔梗とは齢が離れている。それにもう一つ、重要な事がある。
「え、いいえ、あの……」
 桔梗は、事柄を整理しようとするかのように少し口籠ってから、
「御入内ではなくて、東宮妃、でした。今上が御元服遊ばされた時、御添臥に上がられたのです。今は、そう、桐壷更衣と呼ばれておいでです」
 そうか、桐壷か。私は素早く、過去二年余りの記憶を手繰った。桐壷更衣に関して、何か記憶があるか。
 ……だが、何も記憶がない。帝の妃の中では、一番印象が薄いような気もする。しかし、私にとって印象が薄くても、帝にとっては一番長い付き合い――元服以来となると七八年にはなるだろう――なのだから、また別な印象があるだろう。と思い立った途端、私の胸の奥底からふつふつと湧き上がってくるものがあった。――第一の攻撃目標、それは桐壷更衣だ。
 桐壷更衣を第一の目標とすると言っても、いきなり土足で踏み込んで成功するとも思えない。侵入は時機を窺わなければならない。そのためにはまず、内偵である。手兵を潜入させて探るのが一番だが、法成寺入道の変の時と違って、今度という今度ばかりは他人を使う訳にはいかない。私自身で出向くしかないだろう。
 私は桔梗に、殊更何気なく言った。
「明日の夜は、帰らないかも知れない。宮中で宴会があるんでね。明日は近江も帰ってくると思うが、留守を頼んだよ」
 留守を頼む、と言われて桔梗は嬉しいのか、私が急に話題を変えたのを訝る様子もない。
 その夜更け、私は台盤所に入り込み、一袋の焼米を手に入れてきた。腹が減っては内偵も続けられぬ。
 翌日私は、朝早くから参内したが、建春門の外で車を降り、車を帰させると、いつもの宣陽門ではなく、北側の人通りの少ない嘉陽門へ回った。門を入るが早いか、何喰わぬ顔で昭陽舎へ入った。ここは東宮の居所とされる建物で、東宮のいない今は無人である。ここを根城に、桐壷を内偵しよう。
 昭陽北舎の物陰から見る桐壷は、後宮の中でも清涼殿から一番遠い北東の隅にある事もあってか、人気が少なく、静かな、と言うより陰気な感じがする。女房が少ないのだろうか。承香殿や弘徽殿は、もっと活気があるのだが。しかし、人少なな殿舎となれば、侵入するにも障害が少ないであろう。
 昼頃私は、公卿殿上人達の不審を買わない程度に清涼殿にちらりと顔を出し、またすぐ昭陽舎へ舞い戻った。こんな所にいないで、桐壷の床下にでも侵入したいところだ。一晩中まんじりともせず、桐壷の様子を窺い続けたが、結局空振りだった。
 翌朝私は清涼殿へ戻った。私は櫛形窓の近くに陣取って、御座所と殿上の間の両方に聞き耳を立てた。帥宮として参内するようになってから、いつもこうしている。作戦を上手に立案し、確実に遂行する上で、情報収集は欠かせない。
 ふと私は、御座所から女の声が聞こえるのに気が付いた。私は全神経を耳に集中した。
「……桐壷更衣様、明日、称善寺に御参詣なさる事……」
 桐壷が動く! 称善寺とやらへ、私も明日、行ってみよう。内裏の外となれば、内裏の中よりは周囲の目も少ない。もしかするとこれは、桐壷を不意討ちにする絶好の機会かも知れぬ。よし、そうとなったら行動開始だ。今日のうちに称善寺の位置を調べて、明日の朝早く、そこへ行って待ち伏せしよう。邸の者には明日明後日くらい参内、泊りという事にしておいて、宮中の者には物忌だと言えば、二日間は誰も、私の行動を把握できなくなる。その間に私は、独り桐壷を待ち伏せて、不意討ちにする機会を狙うのだ。
 私は公卿殿上人達に、明日明後日は物忌だから、とはっきり言った。明日明後日は特に大切な儀式の日程は入っていないし、私は以前から、無断欠勤は殆どやらず、物忌の時は物忌と、誰かに前日のうちに言っておく習慣をつけていたので、誰も怪しまなかった。こういう所で、日頃の行いの差が出る。物忌で休むと言ったためしのない者が、事改めて物忌などと言ったら、逆に疑われるところだ。
 私は早目に退出して邸へ帰ると、京洛周辺の地図を広げた。検非違使佐を兼ねていた信孝が、以前私の求めに応じて写してくれた地図だ。私は、称善寺という寺を探した。
 称善寺は京の北郊、嵐山から岩倉へ続く丘の麓にあった。もしかするとこの寺が、桔梗の伯母にして桐壷の乳母が、庵主を勤めるという尼寺なのか。という事は参詣とは言いじょう、乳母に会いに行くといった方が正しいだろう。そんな所へ私が、不意討ちをかけるというのは……いや、仏心を出すものか。大事の前の小事、宿望達成への第一歩を踏み出そうという時に、変な仏心は起こすまいぞ。
 私は入浴の吉日でないにも拘らず湯を使い、体臭を可能な限り落とすと、香の匂いのついていない装束を選び出した。以前、東宮だった帝の内意を受けて、桜宮邸を足場に隠密行動を取っていた時と同じだ。人間は、異質な匂いというものにはかなり敏感なものである。これから桐壷を待ち伏せし、あわよくば、と狙いを定めている時には、自分の気配を他人に感づかれないようにすることが肝要だ。
 次に、称善寺へ行く段取りだ。二日二晩という事も考えられるから、馬は少し面倒だ。と言って、車で称善寺へ乗りつけるのは絶対に不可。参内したと思わせて、車は建礼門の辺まで乗ってきて、ここからは少々遠いが徒歩といこう。すると、直衣で洛外を歩くのは人目を引くから、車を降りるまでは直衣、そこからは狩衣でいこう。匂いの少ない、地味な狩衣がある。
 翌朝私は、いつもの通りに冠直衣の装束で、牛車に乗って内裏へ向かった。しかし装束の中身は、単の衣の上に狩衣を着、その上に下襲と袍を着、また下は大口袴の代りに指貫を穿き、その上に布袴という、異様な態であった。私がそんな着方をしている事は、誰も知らない。子供の頃からの習慣で、着替えは誰の手も借りず一人で済ませるので、女房は私が着替える所を見ていない筈だ。狩衣の懐には地図と、何かの役に立つかも知れないと思って持ち出した包み布と油紙、焼米と梅干、それに、これを使うような事態が出来して欲しくはないが短刀を一振り隠し持った。これから私の前に繰り広げられるかも知れない事どもを思うと、車に揺られながらも知らず知らず胸が高鳴ってくる。
 いつも通り建礼門の前で車を降り、車を帰らせると、私は素早く西へ走り、真言院の横から安嘉門へ抜けた。門を出てすぐ、物陰に隠れると、袍と下襲、布袴を脱ぎ、油紙と布に包んで腋に抱えた。誰にも見咎められずに、私は下級貴族に身をやつした。狩衣に指貫の私を、私の顔を知らぬ者が見ても、帥宮とは思うまい。指貫の裾を膝の下で括って、私は足早に称善寺へと歩みを進めた。
 称善寺は、民家の疎らな山裾にある、小さな寺であった。寺の背後はすぐ林で、両脇も木立ちである。林は土塀と違って、突破するのは人が思う程困難ではない。三方を木立ちに囲まれて、寺門は南向きの一ヵ所だけである。これは見張るのに好都合だ。私は木陰に隠れて、門を見張った。
 日が高く昇る頃、一台の女車がゆっくりと向かってくるのが見えた。従者は二人、騎乗の者はない。女御の参詣にしては、実に少人数だ。これは後宮での勢力を反映しているのだろうか。承香殿の里退りなどという事になったら、随伴する貴族は十人ではきくまい。ともあれ、人少なであるに越した事はない、ただ単に見張るだけでも、或いはその上の挙に及ぶとしても。
 車は、門を入ってゆく。門内の人の注意がこの一行に向けられているうちに、搦手から境内へ侵入だ。私は素早く木陰を離れ、横手の木立ちの間から境内に忍び込み、庫裏の床下へ忍び込んだ。以前、綾小路南壬生西の邸で法成寺入道の密談を盗み聞きした時と、同じような具合だ。床下から門の方を見通すと、今しも車宿に車が着いたところだ。女の声が聞こえる。近寄って、耳をそばだてる。声の主は、二十代が一人と、四十前後が一人。四十前後の方は、何となく落ち着いた風格を感じさせる。庵主の尼であろうか。二十代の方は。
 庵主の喋るのを注意して聞いていると、来客は二人いるようだ。明らかな敬語が使われる相手と、そうでない相手と。敬語を使われている方が桐壷で、そうでない方が庵主の娘に違いない。それにしては、二十代の女の声が、一人分しか聞こえてこない。声が非常によく似ているか、それとも一方――多分桐壷――が黙りこくっているか。
 頭の上を、人が通り過ぎてゆく気配がする。桐壷、庵主、庵主の娘は、奥へ入ってゆくのだろう。私も耳を澄ましながら、その後を追って床下を這って行った。
「……この前おいでになったのは、二月でしたね。お元気そうで何よりです」
 庵主の声がする。という事は、桐壷はそんなに頻繁にここへ来る訳ではないのだ。その頻繁でない外出が、私が偵察を始めた翌々日にあったのは、かなりの僥倖と考えねばなるまい。桐壷の乳母の姪が私付きの女房の中にいた事、少人数での桐壷の外出先が、人気の少ない郊外の尼寺である事、周囲の状況は、私にとっては誂えられたようだ。
「……車は明日、迎えに来させます」
 桐壷か、庵主の娘か、これはまた実に好都合な事を言ってくれる。車がいなくなれば、牛飼や従者といった男手もいなくなる訳だ。しかも! 桐壷は今夜、この尼寺に少人数で泊る事になる。この状況はまるで私に、偵察をするに留まらず次の段階へ一路邁進せよとけしかけているようではないか! だが待てよ、好事魔多し、物事が余りにも都合良く運びすぎる時は、えてして大きな陥穽に嵌まる事があるものだ。法成寺入道が女房を捜していたのを、女間諜を潜り込ませる機会が向こうから転がり込んできたと思って、渡りに舟と晴子を潜入させたところが、すんでの所で晴子を殺されそうになったあの教訓を、私は忘れてはいない。縦え向こうが罠を仕掛けていなかったとしても、調子に乗ると躓きやすいもの、こんな状況でこそ慎重に手を進めなければならない。
 私は耳を澄ました。今迄聞こえてこなかった声が聞こえる。
「……本当に私、たまにここへ参るのだけが娯しみですわ」
 車はどうこう、と言っていた声とは異なるが、余り年のいっていない女の声だ。とするとこの声の主が、桐壷だろうか。しかし帝の妃が、外出して尼寺へ行くのだけが楽しみ、とは妙な事を言うものだ、と思っているうちにその声は続ける。
「貴方(庵主の事か? と私は思った、ならばこの声の主は、桐壷に間違いない。)に会うのと、あの御方」
 な、何だと!? 帝の妃でありながら、男と逢っているのか!? それも尼寺で!?
 一瞬激しく高鳴った私の胸は、しかしすぐまた、鎮まった。桐壷は続けた。
「の気配なりとも窺う事が」
 何だ、逢っていたのではなかったのか。私は肩の力を抜きながら、呑んだ息をゆっくりと吐いた。だがしかし、密会しているのではないとしても、帝の妃と臣下の男が示し合わせて人気の少ない尼寺へ行っているとすれば、これは由々しき、と言うのか、私にとっては好都合ではあるが、大問題となりうるであろう。しかも、その場所となったのが女の縁故の深い場所、それも普通男が出入りしない尼寺となれば、状況としては明らかに女の方から仕掛けたと見られる。そうなると、桐壷が夫のある身で夫即ち帝を裏切ったという事になって、帝を大いに苦しめるであろう。桐壷の意に反して男が闖入したのなら、帝は男を全権力を以て葬り去り、桐壷にはむしろ同情するであろうが、桐壷の方から男を誘ったという動かし難い状況が作り上げられている今、事が明らかになれば、帝は桐壷のために苦しみ、怒る事になるだろう。……と期待に胸を躍らせていた私は、冷水を浴びた気がした。桐壷が、思いがけぬ言葉を発したからだ。
「マサナガ様は、いつ頃こちらに」
 !! 正良と言えば、他でもない、私の事ではないか、しかし私が、いつここへ来ると桐壷やここの庵主に約束したと言うのだ、現に私は、誰にも何も知らせずに桐壷のいる部屋の床下に身を潜めているのに。私は必死で心を落ち着け、何とか桐壷の言葉を有利に解釈しようと躍起になった。聞き間違いではないのか、それが一番簡単な解釈だ。だがしかし、
「マサナガ様は、もうそろそろお見えになる頃ですが」
 庵主の声は、私の一縷の望みを冷酷にも粉砕した。頭がくらくらし、息苦しくなってくる。これは罠か。私が気付かぬ間に、私がここに忍び込んだ事が知れ渡っていて、このやりとりによって私に激しい打撃を与え、同時にこれを合図にして、茫然自失になっている私を捕えようという作戦なのだろうか。そう考えると、「正良様」とわざわざ庵主が繰り返したのも、私に与える打撃を決定的にするためだったとも取れるし、親王を口に上せる時に普通するように「岩倉宮」「帥宮」と呼ばず、「正良」と本名を出したのも同様だ。先刻庵主の娘が、「車は帰した」とわざわざ言ったのも、男がいなくなったと思わせて油断させようという策謀かも知れない。こうなったら、ぐずぐずしてはいられない。太刀を帯びているに違いない従者二人と、短刀一本で渡り合う自信はさすがにない。三十六計逃げるに如かず、だ。私は布包みを左手に抱え直し、右手に鞘を払った短刀を握りながら、可能な限り素早く、裏の林を目指して這った。周囲に人の足が見えないのを見極めて、庫裏の裏手の人気のない所から飛び出し、一目散に林へ駆け込んだ。
 全く、返り討ちとはこの事だ。誰かが私が境内に侵入するのを目撃して、私を捕えて返り討ちにする策を急いで練り、言葉巧みに私を油断させておいて大打撃を与えたのだ。いや待て、私が侵入して来るのを見て咄嗟に作戦を練り上げたのか。もしかすると、一昨日私が淑景舎を見張っていたのに気付いていて、私を罠に掛けるために尼寺へ誘い出したのか。或いは……と考え当たって、背筋がぞっとするのを感じた。桔梗だ。あれが、三日前の夜私が桐壷に興味を示したという事を伯母の庵主と従姉に知らせ、私を罠に掛けるよう画策させたのか。それとも、そうだ、こんな線は可能か。桔梗が桐壷の話をしたのも、私にかまをかけるためだったという線は。私の地位と継父の財産、その両方に目をつけた何者かが、庵主を唆し、庵主の姪で私の側に仕えている桔梗を使って、私に桐壷に対する興味を持たせ、罠に掛けるべく誘い出したのだ、と考えは取りとめもなく広がっていく。もしこの辺が当たっているとすれば、本当に世の中、どこに陥穽があるかわからないものだ。私が幾ら声を大にして、人に恨まれる覚えはないと言ってみても、先方が私に深い恨みを抱いているという事は世の中には良くある――何しろかく言う私自身が、帝に対し骨髄に徹する恨みを抱いているのだから。私がそういう恨みを抱いていて、帝に対し何をし出かすかわからぬという事を誰かが察知して、予防的に私を帝から遠ざけようと、桐壷に一芝居打たせたのかも知れない。私の知らない恨みか、私の陰謀を頓挫せしめる予防策か、或いはただ単に、私が桐壷に懸想したなどとでっち上げる様子を見せ、口止め料を巻き上げようというさもしい金欲しさか、相手の意図はどこにあるのか。もし相手が、恨みか予防策か、とにかく私を失脚させようとしているのなら、下手をすれば桐壷に嫌疑が掛かるような、桐壷の縁の尼寺に誘い出すなどという方法を択らず、淑景舎に誘い出して近衛の者に現行犯で挙げさせる方が得策と判断するだろう、と思ったが、口止め料を巻き上げようというのなら、ここを選んだのも納得がいく。近衛や検非違使が踏み込んで来ては、私を帥宮の地位に留めておいてゆすり続けるという事ができなくなってしまうからだ。
 漸く心が落ち着いたところで、尼寺の様子を窺うと、妙に静かだ。帰ったと思わせてそこらに隠れさせていると思った従者や牛飼のいる様子もない。尼達が騒いでいる様子もない。そうしてみると、私を捕まえるための罠ではなかったのだろうか。どうやらまた、慎重さの余り要らざる深読みをしたらしい。私は肩の力を抜いた。床下へ戻って、偵察を再開しよう。こうやって逃げ出したのが安心して戻って来るのを捕まえるというのは、深読みがすぎるというものだ。
 そうだ、落ち着いてよく考えてみるがいい。マサナガという名前は、私だけの名前とは限るまい。今日ここに示し合わせて、来る予定になっている男の名が、同じ読みなのかも知れない。或いは、男が身分を隠そうとして用いた偽名が、偶然にも私の名と同じ読みだったのかも知れない。その辺りをはっきりさせる事が、今の私がすべき事の第一であろう。
 私が再び、桐壷達のいる部屋の床下へ忍び込み、聞き耳を立て始めてから程なく、牛車の音が聞こえた。この音に桐壷が、どんな反応を示すか、私は桐壷の身じろぎ一つ聞き逃すまいと、床に耳を近づけた。
 誰かが歩いてくる音が聞こえたと思うと、女の声で、
「例の御客がお見えになりました」
 やはりそうだったのだ。桐壷はここで、男と示し合わせていたのだ。しかし残念なるかな、例の客、では誰だかわからぬ。マサナガというのはその男の名か。しかし私の知っている限り、そう読む名前の者は私の他にはいない。だとすると偽名だろう。それでは本名は、となるとわからない。
 庵主が立って、出て行ったらしい。後には、身じろぎ一つ感じられない静寂が残った。今桐壷が、示し合わせていた男が来たのを知って、何を思っているのか、それを知りたくてうずうずしてくる。しかしここからでは、そこまでは到底窺い知れぬ。
 ふと私の耳に、砂利を踏む音が聞こえてきた。私は、音の聞こえた方角に目を凝らした。前庭を歩いている男の足が見える。直衣に表袴、という格好らしい。歩き方に何か癖でもあれば、誰なのか思い当たる事もあろうが、ここから見た限りではそのような事はない。男の声も聞こえない。声に聞き覚えでもあれば、と思ったがそれも無理だ。こうなったら後は、私に顔が見えるように躓いて転んでくれるのを待つくらいだ。
 男は庭を横切って歩いてゆくと、庭の隅に佇んでいる。そのまま動きもせず、言葉を発する様子もない。私の頭の上からも、桐壷であれ庵主の娘であれ、声も身じろぎも聞こえてこない。一体全体、三人揃って何をしているのだ、と口走りたい程だが、これが先刻桐壷が言っていた、男の気配なりとも窺う事なのだろう。男も女も、一言だに発せず、互いの気配を探り合うだけの逢瀬。思えば、何と切ない逢瀬なのだろう。男は何者か知らぬが、女はこの天下における絶対的な権力者たる帝の、妃の一人、その立場からすれば、洛外に人目を忍んで、こうして互いに言葉もかけず、その存在を感じ合うだけが精一杯というのも、已むを得ない事であろう。冬の夜寒に二ヵ月の間、二条南東洞院西の邸の周りを歩き回るだけだったという公晴の恋慕にも通ずる切なさだ。しかも桜宮は、内親王とは云え独身、忍ぶ恋にもまだ救いがあるが、これは帝の妃への恋慕、ひたすら忍び続ける以外に途はない。
 ……もしかして、という考えが脳裏をよぎった。あの男も私も、帝の妃に絶望的な恋をしている、或はしていたという点は共通する。だとすれば、その点をうまく利用すれば、あの男と手が組める可能性がある。いや、対等の立場で手を組むのではない、私の手先として利用できるだろう。何となれば私は、あの男が桐壷に叶わぬ恋をしていると知っているが、あの男は私が澄子に叶わぬ恋をしていたとは知るまい。もし知っていたとしても、それはもう過去の事だ。つまり、帝に密告されたくなかったら言う事を聞け、という脅しが使える訳だ。……それにしても、ほんのつい先刻は、弱味を握られたと思って青くなっていたのが、今は他の男の弱味を握ろうと策をめぐらしているとは、孔子の教えなどてんから頭にないとしか言いようがない。
(「論語」より「己れの欲せざる所、人に施す事勿れ」を指す)
 或いは逆に、何か策を講じて帝の前から桐壷を隠し去り、あの男と駈落ちさせてやるという手もある。勿論、その男に恩を売ってどうかしようなどという気は毛頭ない。ただ帝に、桐壷を喪う悲しみを味わわせたいだけだ。いずれにしても、あの男が何者か、それを見極めない事には始まらない。もし男が昼のうちに帰るのなら、桐壷は明朝までここにいるのだから、男の帰りを尾ける事にしよう。男が泊っていくとしたら? ……それはまあ、あり得ないとして良いだろう。男が尼寺に泊るというのは、そこにもし桐壷がいないとしても、余りにも奇異に値する。ひたすらに忍ぶ恋に耐え続ける男が、そんな事をするとは考えにくい。
 案の定、一刻も過ぎたと思う頃、男は庭を横切って、車宿へ向かった。私は素早く、人目に付かぬように庫裏の裏手へ出、裏の林から横手の木立ちへと脱出した。門を見張れる木陰で待つうちに、牛飼の声と、車が動く音が聞こえてきた。
 車が門を出て来た。飾りのない粗末な網代車だ。従者は一人もいない。世を忍んだ微行なら、それも肯ける。これもまた、尾行しようとする私にとっては好都合だ。騎乗の武者なんかが随伴していた日には、尾行もやりにくい。
 門を出てゆく車の後を、私は一町程離れて尾行していった。車は私に尾行されているのに気付かないのか、進みを早める様子もなく、脇道へ入る様子もない。先だって晴子に追われた時は、私も力の限り巻こうと努力したものだが。大体牛車は、牛飼が徒歩で綱を引いていく以上、そんなに速く走れないのだ。
 車は、右京に入った。洛中に入れば人通りも多く、徒歩での尾行は雑踏に紛れて気付かれにくい。さあここから、車がどこへ行くか。と言って、車がどこへ入ったかを見極めても、それだけであの男が何者かはすぐにはわからない。私が幾ら物覚えの良い方だと言っても、千区画からある洛中の町の、全ての邸の住民を把握している訳ではない。そんな事は、左右京職や検非違使でも難しいに違いない。
 車はやがて、とある邸の門に入った。門の構えは小さく、邸も大邸宅というのではなさそうだ。門の外からでは、車宿の中までは見えないから、男が車から降りるのを見る事はできないが、邸の所在地がわかれば充分だ。ここは右京六角南無差西、この場所を忘れまいぞ。私は物陰で地図を開き、爪の先で地図に印をつけた。この邸の住民が誰か、それは右京職か検非違使で調べよう。私の名と同じ読みの人間がいるかどうか。叙位を受けた貴族なら、中務省で叙位記録を調べればわかる。無位だとしても、有位者の子弟ならわかる。その辺の調査は、近日中に正々堂々と参内した時にやろう。今日は称善寺に取って返して、桐壷の偵察を続けることだ。
 午後、私は再び称善寺に忍び込み、庫裏の床下に身を潜めた。道中私が称善寺に近づく頃から、晴れていた空は次第に曇り、雲行きが怪しくなってきた。床下で聞き耳を立てている私の頭の中には、様々な考えが去来していた。
 桐壷と互いに思い合っていながら、顔を見る事も声をかける事もできない男。その男の胸の内は、私の胸の内と共有し合えるものがあるに違いない。その男をうまく使いこなせば、一人でやるよりもかなり手際良く作戦を遂行できるとは思うが、ここに問題がある。その男が、私が弱味を握って手先として使うに堪えるかどうか、という点だ。理想的には、必要な時には私以上に冷酷非情に徹し切れ、私の作戦参謀となれる位頭がよく働き、腕力や武術の腕が相当あり、秘密を絶対に守り切れる口の固さがあり、そして何よりも私の命令になら唯々諾々と従うような男がいい。そうでなかったら、少し考えた方がよい。変な仏心があるようなのは願い下げだ。帝と聞いただけで震え上がるような小心者も不可。いざという時に太刀を抜けないような臆病者は論外だ。頭の悪い奴、機転の利かない奴も使いにくい。口が固いことは絶対欠かせない。私の命令に従わないのは、役に立たないばかりか危険だ。私は命賭けなのだから、私の為になら何でもする、私の言う事には絶対に異議を差し挟まない、そういう男でなければならない。もし私の手先とするに堪えなければ、そんな男には用はない。そうした場合、その男に私の野望を打ち明けてしまっていると、その男が私の野望を阻害する一番手となるのは確実だ。それを防ぐために――私だってやらずに済む口封じはしたくないから――その男を私の手先とすると決めるまで、そしてその男に絶対に二心ないと確信し切るまで、私の野望はその男には決して打ち明けない。言葉は、聞かせたいと思う人以外にも聞こえるのだ。性覚が、晴子にした告白を私に盗み聞きされ、それで彼の最後の企みが潰え去ったように。あれは私にとって、貴重な教訓である。
 無性に腹が空く。焼米を一粒ずつ、口の中で保たせるためと噛む音を立てないために、溶けるまでしゃぶりながら待つうちに、辺りは暗くなってきた。それと共に、風が裏山の木の葉を吹き鳴らす音が聞こえてくる。それを聞いているうちに、この風音が天魔の囁きにも聞こえてきた。木の葉がざわめき、戸が鳴るこの音に、雨音でも加われば、それに紛れて少々強引な振舞にも出られるというものだ。桐壷達がここに泊まると聞いた時から、その気になってはいたのだが、もし晴れた静かな夜であったなら、人気の少ない山里というのが逆に災いして、却ってやりにくくなるのではという危惧があった。しかし今や、状況は一変した。風の音は激しさを増し、頭の真上にいる桐壷の気配をかき消そうとする。私が簀子縁に登ったとしても、その気配をもかき消してしまうだろう。
 そのうちに、雨が降り出した時の独特の匂いが漂い始めた。雨が土や木の葉を撃つ音が、初めは秘やかに、そして次第に喧しさを増して、私の耳に入ってくる。雨風までもが、私に味方してくれているかのようだ。剰え、雷まで鳴り始めた。だが、ここで今一度慎重にならないと、どんな些細な事に躓かないとも限らない。早い話がここから這い出る時、風上へ向かって這い出たら、簀子縁へ登る前に濡れ鼠だ。
 私はまず、風向きを探った。風は、南寄りから吹いている。ならば、北側へ抜ければ、庭へ出る時に濡れずに済む。私は北へ這って行き、裏庭へ出た。見える範囲には、灯は点っていない。人目に付かずに簀子縁へ登るには……しかし、階がない。ここは狩衣の身軽さだ。私は簀子縁に手を掛け、音もなく跳ね上がった。勾欄を軽く乗り越え、簀子縁に立った。
 風は吹き募り、戸が鳴る。この音に紛れて突入、だ。しかしその前に、南側に人気がない事を確かめなければならない。風は、やや西向きに変わった。私は東側の簀子縁に出て、南側を窺った。
 南側にも、灯の漏れている所はない。こうなったら逡巡は無用、突入あるのみ。部屋への侵入は、西風の吹き込まない風下からだ。私は、東の隅の妻戸に歩み寄った。妻戸に手をかけ、そっと引く。錠は、これぞ天佑、掛かっていない! 他の蔀戸が、風に吹かれてカタカタと鳴るのに紛らせて、私はそっと戸を開けた。
 そっと身を滑り込ませた私は、素早く、静かに戸を閉め、錠を差した。邪魔が入りそうになっても、これで少しは時間稼ぎができる。
 闇の中から、微かな声がする。
「誰?……大弐なの?……」
 この声は、桐壷の声だ。大弐というのは、庵主の娘の女房名に違いない。そうそう、庵主の父は大宰大弐だったと、桔梗が言っていたな。私の胸は妖しく高鳴った。私の作戦を妨げる、最後の障碍はここにはない。大弐は、この部屋にはいないのだ。何もかもが、私の作戦の完遂に手を差し延べているかのようだ。私は黙ったまま、静かに歩み寄った。漆黒の闇の中でも、異様に研ぎ澄まされた私の感覚は、桐壷の姿を朧げながら捉えていた。
「貴方は、誰なの?」
 私が桐壷の目の前にまで迫った時、桐壷は再び、微かな声を発した。私は深く一呼吸おいてから、低く低く、囁くような声で、
「誰なの、とは余りにもつれないお言葉」
 桐壷は少なからず驚いたような声で、
「マサナガ様!?」
 私はもう、この名を聞いても動じはしない。昼間来ていたあの男も、私の名と同じ読みの名なのだ。そしてどうやら、その男の声は私の声に似ているらしい。桐壷が聞き間違えたのだとしたら。私は低く抑えた声で、
「やっと、わかって下さいましたね」
 しかし、桐壷は怯えているようだ。息が乱れている。ややあって、
「……貴方は昼間、お帰りになった筈……。どうして、ここに……」
 よし、気分が乗ってきたぞ! 私は低く抑えながらも情感溢れる声で、
「この雷雨の夜に、人里離れた寂しい尼寺にお泊りの貴女が、どんなにか心細く、不安に思っておいでかと思うと、せめて同じ寺の内で宿直でもと矢も楯も堪らず、一人秘かに邸を抜け出て、ここへ参ったのです。どうか、つれない仕打をなさいますな」
 あぁあ歯が浮く! だがまあ、相手がこちらを例の男だと勘違いしているのなら、それにつけ込むのも手だ。
「……どうして、どうしてこんな事を……。私は、帝の妃と呼ばれる身、その私と同じ部屋の内にまで、お入りになるなんて……」
 桐壷は、途切れ勝ちに呟くように言う。ここでもう一押し、うんと力を入れた口説き文句を聞かせてやれば、桐壷だって女だ、ふらりとするかも知れん。
「貴女は私のこの胸の内を、少しもわかっていらっしゃらない。私が今、どれ程貴女に逢いたいと願い、そのためなら万難をも排す覚悟でいるか。もしこの事が露れれば、私は破滅を免れますまい、しかしそれでも全く悔いません、この切なる願いが成就するのなら。いいえ、私にとっては、満たされぬ思いに苦しみながら生き永らえる方が、願いを成就させた末の破滅よりも苦しいのです」
 私は心にもない長口舌を振いながら、桐壷ににじり寄った。桐壷は震えているようだ。それは、怯えか、それとも私の二枚舌に乗せられて感極まったのか、私にはまだわからない。しかし、私を断乎拒絶する様子はない。
「どうして、私のこの胸の内をわかって頂けないのですか。私は貴女と、その程度の仲だったのですか」
 私は切々たる情感を声に込めた。しまいには、空泣きする素振りさえ見せてやった。こんな風に桐壷に迫るには、要するに目の前にいるのが桐壷でなく、あの永遠に忘れ得ぬ澄子であると思い込むことだ。但しだからと言って、余りその気になりすぎて、澄子の名を口走ったりしたら大失敗である。
 いざ桐壷の、肩に手を差し延べようとした時、桐壷は呟いた。
「貴方の衣は、乾いていますね」
 え!? 私は思わず手を引っ込めそうになった。
「一人秘かにお邸を出て、嵐の中をここまで来たのに、何故衣が乾いているのです」
 私は愕然とした。雨に濡れるまいとして、風向きを窺って床下から這い出たのが、完全に裏目に出たのだ。ここで動揺しては、今迄の苦労が水泡に帰すと思っても、手足は強張るし言葉は出ない。頭が急に、激しい混乱状態に陥ってしまった。
「何故私に、嘘を申したのです」
 桐壷の声には、冷たい猜疑心が現れている。こうなったら駄目もとだ、実力行使に出てやれ、あれを決めてやれば!
 尚も何か言おうとする桐壷に、私は無言のまま躍りかかった。桐壷が身構える隙も与えず、私は桐壷を双腕に抱きしめ、唇を捕えた。
 狙いは違わず、桐壷は私の腕の中で、抗う腕力も気力も失ったかのように、ぐったりとなった。この技って、こんなに効く物なのかね。もう一遍、誰かに試してみたい気がする。
 桐壷が、理詰めで私の言葉の矛盾点を衝くような状態でなくなったのを見極めると、私は果敢な行動に出た。緩急交えつつ、桐壷に態勢を立て直す隙も与えずに、桐壷の肉体を攻略した。桐壷も男を知っている女だ、一旦その肉体に火を付ければ、理性では抑え切れまい。既にもう、抗う気力を失っている。これがうまくいくか否かが、私の今後を占うであろう。私は全身全霊、持てる力と技の限りを尽くして、桐壷を攻めた。強引でもなく、及び腰でもなく、性急でもなく、緩慢でもなく、見せ掛けの深い愛情を籠めて……。
 遂に桐壷は陥落した。私の腕の中で桐壷は、全身骨抜きになって泥のような喜悦に溺れ切っていた。私は、帝の妃を攻め落としたのだ。私の遠大なる野望は、ここにその第一歩を踏み出した。
・ ・ ・
 恍惚として余韻に浸り切っている桐壷を後に残して、私は静かに部屋を出た。幾ら桐壷本人の籠絡に成功したとしても、大弐や庵主といった他の女達に、私の存在を知られるのは非常にまずい。ここは早くずらかるのが上策と心得た。雨風は、少しは鎮まってきている様子だ。さっさと床下へ戻って、焼米でも食べるか。
 その時、人の気配を感じた。振り返った私の目を、紙燭の光が射た。その光の向こうに、驚きと恐怖の余り声も出ないといった様子の女の顔が見える。余り歳はいっていない。大弐に違いない。と判断した私は、咄嗟に決心した。こうなったら、桐壷の一番の側近を敵に回すのは下策だ、大弐も籠絡してしまおう。幸い、まだ精力は残っている。
 彫像のように立ちすくむ大弐に、私はさっと歩み寄り、素早くその両手首を掴んだ。火は、こんな時には危険だ。私は、大弐が右手に持った紙燭を、フッと吹き消した。大弐が声を上げようとしてか、はっと息を呑むところへ、右手で大弐の首を抱き寄せつつ、絶妙な接吻を与えた。
 またしても大成功。大弐は私の腕の中で、茫然自失の体になった。自由になる左手で私に抗おうともしない。息が乱れ、歯がカチカチと鳴っているのが感じられる。頃合いを見計らって私は唇を離し、そっと低い声で囁いた。
「無粋な事は、止めましょうよ」
 今度は趣向を変えて、恋慕路線ではなくて「大人の恋」路線で攻めてやろう。桐壷を口説き倒した同じ台詞で、別の女を攻めるというのは少し引っかかるのだ。それにこの大弐は、接吻一つで震えているところを見ると、年の割に晩生、もしかするとまだなのかも知れない。そんな女には、恋して恋しての純情少年よりは、相当手慣れた大人を装った方が効果的だと思うのだ。
 曇った夜空の微かな明りの中で、私は今出てきたのとは別の妻戸へと大弐を誘った。私に肩を抱きかかえられた大弐は、なされるがままに足を進めてくる。私は妻戸に手をかけた。ここの妻戸も、錠が差してない。よくよく不用心な、と言うより私にとっては好都合な事だ。妻戸を開けて入ってみると、人の気配はない。狭い塗籠になっているようだ。私は妻戸の中へ、大弐をそっと引っ張り込み、妻戸に錠を差した。
 やはり大弐は、初めてだったらしい。暫くの間は、恐怖に身を固くしていた。しかし私に休みなく攻められているうちに、理性は消し飛び感情は肉体を抑え切れなくなって、猥りがわしく私を求めて来さえし始めた。私がわざとじらすと、一層激しく乱れるのだった。
・ ・ ・
 もう明け方近くなっていただろうか。私はふと目を覚ました。女二人を相手に張り切りすぎて、寝入ってしまったらしい。私は慌てて起き上がった。戸の隙間から差し込む微かな光で身繕いを済ませ、妻戸の錠を外すと、その音で大弐は目を覚ましたらしい。私が戸を、音を立てないよう静かに開けようとすると、背後から、
「行かないで……」
 大弐の熱っぽい、上ずった声が聞こえた。振り返ると大弐は、胸を露わにしたしどけない姿のまま起き上がって、潤んだ瞳でじっと私を見つめている。これを見て私は、作戦の成功を確信した。大弐を籠絡してしまえば、こと桐壷に関しては、多少強引な作戦も実行できる。この次からは、この線でいこう。
 私は今一度、大弐にそっと微笑み返すと、簀子縁へ出た。雨風はもう止んで、明るくなり始めた空には、千切れ雲が浮かんでいる。庵主や尼達の勤行の声が、高く低く流れてくる。私は、そっと床下へ潜り込んだ。やがて、身繕いを済ませた大弐が、簀子縁に出てきた気配がした。きっと大弐は、私の姿がどこにも見えないので、夢か幻かと思っているのだろう。私は床下に腰を落ち着けて、やおら焼米を取り出し、音を立てぬよう静かに、一粒ずつ食べ始めた。
 昼頃、桐壷達は帰って行った。私は、いつも宮中を退出する時間、即ち邸から内裏へ車が迎えに来る時間と、ここから内裏までの要する時間とを計算して、もう暫く経ってから称善寺を抜け出した。野中の道を歩いて大内へ向かい、偉鑒門の近くで物陰に隠れて冠直衣に正装し、悠々と門を入った。そのまま中重の外を回って建礼門の前へ来ると、私の車が待っている。私は何事もなかったかのように車に乗り込んだ。車に揺られているうちに、どっと疲れが出てきたが、それは不快な疲れではなく、勝利を収めつつある喜びと満足感を伴った快い疲れであった。
 翌日、私は参内するとすぐ、右京職へ行った。六角南無差西の邸の住人が誰か、確かめるためである。六角南無差西と言えば、西京極に近い地域、右京でも場末の一帯である。そんな地区に邸を構えている者となると、余り有力な貴族ではないだろう。そこに住んでいるあの男が、私の知らない人物であるというのも、それを思わせる。零落した宮家か、中下流の貴族か。
 調べてみるとその区画には、二十年程前には余り有力でない親王の別邸があったらしいが、その親王は十数年前に亡くなっていて、その後誰が住んでいるのかは、右京職には何の届け出もなされていないので把握できない。検非違使が置かれてからというもの、京職はすっかり有名無実になってしまって、本来京洛の住民の異動はここが一番正確に把握している筈なのに、この有様である。私は右京職を後にした。
 中務省へ行ってみると、ここでは大当りであった。五年前に、源匡長という男が従六位下に叙せられた、という記録が見つかったのだ。
「へええ、帥宮様と同じ読みの名前の方がいたんですねえ。今迄、気が付きませんでした」
 調べてくれた五位の大内記も、意外そうな声をあげている。その時十九歳と記録にあるから、今年は二四歳の筈だが、五年前からの叙位と除目の記録を全部調べても、この男の昇叙、任官の記録は何もない。五年前からずっと、散位の従六位下のままだったという事になる。これだけ鳴かず飛ばずの男を、私が知らなかったのも無理もないところだ。
「こんな方の記録を調べて、どうなさるお積りなんですか?」
 大内記が不思議がるのに、私は、
「いや別に、大した事じゃないんだ。実はね、私の所の女房の親類が、私と同じ読みの名前の人の事を聞いた覚えがあると言ったんでね、不思議な事もあるものだ、と思って」
 笑いながら適当にごまかした。
 さて、私の名前と同じ読みの男の存在は確かめられたが、この男と六角南無差西の邸とは直結してはいない。もっと調べてみよう。初めて叙位を受ける時の申請書類には、父祖の名前と極官が書かれている筈だから、それを調べてみることにした。こんな仕事に、公務に忙しい大内記を使うのは心苦しいので、私自身で倉庫に入って、五年前の叙位の際の書類を探し出した。やがて見つかった申請書類の記事によると――匡長の父は内蔵助匡行だそうである。しかし現代の家邸の相続は、母から娘へと受け継がれる母系相続が原則だから、父が誰だと分かっても、それだけでどこに住んでいるかはわからない。この線からの調査も、すぐに行き詰まってしまった。
 確証はないのだが、あの男が匡長であろうという推測はできる。今年二四歳という事だが、桐壷とそれ程歳が離れてはいないだろう。私の感触では桐壷は、私より少し年上、二十三四だろう。それは、帝が元服した時の添臥に出たという事が傍証となる。元服の添臥というと、元服する帝より幾分年上の姫が出る事になるからだ。
 ともあれ、桐壷と恋に陥っているあの男の身元がわかったら、あの男が私の手先とするに堪えるかどうかの見極めをつけよう。桐壷と一夜を共にして、それで終わりという訳ではないのだ。私の大いなる復讐は、始まったばかりである。
(2000.11.19)

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