ソルトレイクシティ訪問記

ソルトレイクシティとモルモン教
 31日はまず朝のうちに、会議の参加登録をすることになっています。出かける支度を済ませてフロントへ行くと、腕時計が午前0時(日本時間)を指している時、フロントの時計は午前8時を指していて、フロントの人が「Time changed」と言います。ここまで来てやっと事態を理解した人も、同行者の中にいたようです。吐く息が白くなるほど気温は低いのですが、朝も早いうちから陽射しは強く、コートを着て日向にいると汗をかきます。ホテルから中心街にある会議場まで歩いてみると、沿道では至る所、大きな建物の建設工事が進んでいます。オリンピックまであと2年となり、ホテルの建設ラッシュが始まっているようです。道路は広くて渋滞がなく、歩道も広くて人混みもなく、歩道に沿った芝生には街路樹が植わっていて紅葉が目に映え、天気は快晴、暑すぎず寒すぎず、空気は乾いていて爽快。ソルトレイクシティで受けた印象の良さは、一週間後に東京の繁華街を歩いていて、ソルトレイクシティとの落差の激しさに虫酸が走った、と言えば十分でしょう。
 中心街の一角にテンプルスクエアという区画があり、ここにはモルモン教の総本山であるTemple(至聖所)を中心に、Tabernacle(大集会所)、Assembly Hall(小礼拝堂)、ビジターセンター、いくつかのモニュメントがあります。大集会所では毎週日曜日の朝9時から聖歌隊の合唱があり、アメリカ全土に生中継されていて、アメリカで最も長く続いているライブの音楽番組と呼ばれるほど有名です。会議の参加登録を済ませた後、ちょうどその時間になったので、聴きに行こうと衆議一決してテンプルスクエアに行きました。地元の人たちと一緒にスクエアに入っていくと、最初に目に入ったのがプラカードを吊したサンドイッチマンで、プラカードに書いてあった文字が「ABORTION IS MURDER」です。
 聖歌隊の合唱は、世界最大級と称されるオルガンの伴奏つきで、時々アカペラになり、合唱の合間には指揮者とは別の人がマイクの前に立って説教を行います。一般入場者は本番前のリハーサルから聴けるのですが、そのリハーサルの様子や、本番が始まってテレビ中継している様子を見ると、どうもショーアップしすぎているようで、オーストラリアへ行って、シドニーのSt.Mary Cathedralのミサに参列した時に感じたほどの敬虔な感動は覚えませんでした。
ソルトレイクシティの街並み 至聖所テンプル 聖歌隊の合唱
ソルトレイクシティの街並み至聖所テンプル聖歌隊の合唱
 テンプルスクエアには、各国から来たモルモン教の宣教師がいて、観光客を見つけると随時ガイドツアーが始まります。自分たちも日本人宣教師に引率されて、テンプルスクエアを見学して回り、モルモン教の歴史や教義などを聞きました。
 いわゆるモルモン教というのは、1830年にニューヨーク州パルマイラ(Palmyra)でジョゼフ・スミス(Joseph Smith, 1805〜1844)が興したキリスト教の一派で、正式名称をThe Church of Jesus Christ of Latter-Day Saints(日本語では「末日聖徒イエス・キリスト教会」)といいます(現地での略称はLDS)。伝説によれば、紀元前6世紀にパレスチナから北アメリカ大陸に渡った一民族に、紀元30年頃復活したイエスが来臨し、福音を述べ伝えました。それ以来旧大陸のキリスト教とは独自の道を歩んできたその民族が、やがて異民族に攻められて紀元後5世紀頃に滅亡の淵に立った頃、約千年にわたるその民族の歴史とイエスの福音を書き記したのが預言者モルモンとされ、その息子モロナイが、それを金板に彫ってパルマイラの丘に埋めたといいます。それを1830年、モロナイの啓示を受けたジョゼフ・スミスが掘り出し、金板に彫られた民族の歴史とイエスの福音を教典「モルモン書」として、布教を始めたのだそうです。というような歴史を、案内してくれた宣教師がビジターセンターで説明していた時、「それは歴史学的におかしいと言おうと思ったが、宣教師(若い女性)があまりに純真なので言えなかった」と、後で上司が言っていました。それを聞いて自分は福音書の一節、「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る(新約聖書 マタイによる福音書 第5章第8節)」を思い出しましたが、そのことは言いませんでした。ただ、宗教の起源にまつわる伝説に歴史学を持ち込むのはタブーだと思う、とだけ言っておきました。自分たちの事を考えてみれば、天孫降臨が歴史学的考証に耐える事実でないことくらい、今の日本人なら誰でも知っています。だからといって神職に向かってそれを言うのは宗教に対する冒涜だと思います。そうして布教を始めたモルモン教は、清教徒の多いニューイングランドでは度重なる迫害を受け、西に新天地を求めてイリノイ州ノーブー(Nauvoo)に街を建設しますが、ここでも迫害を受けてジョゼフ・スミスは殺されます。ジョゼフ・スミスの跡を継いで指導者となったブリガム・ヤング(Brigham Young, 1801〜1877)に率いられたモルモン教徒は、さらに西へと進んでロッキー山脈に分け入り、白人のいない砂漠のただ中、グレートソルトレイク湖畔に街を建設しました。それが1847年のことです。入植から間もなく、アメリカ・スペイン戦争によってこの地方から太平洋岸までアメリカ領になり、ソルトレイクシティを中心とするこの地方がユタ州となったのが1896年でした。
 モルモン教の教義というと、普通の人は興味本位に一夫多妻制といいますが、19世紀末に一夫多妻制は正式に廃止されています。そもそもアダムの妻はイブ一人だったのだし、福音書を読んでもキリスト教が一夫多妻制を積極的に認めているとは読めないのですが、モルモン教の初期の教義では一夫多妻制を容認するような節があって、それで清教徒からは異端として迫害されたのでしょう。現在のモルモン教の教義は、もちろん自分も他人に教えることができるほど理解しているわけではありませんが、家族愛を特に重んじ、勤労を貴ぶといいます。また教義とは少し違うのですが、教会の方針として学問と芸術の振興に昔から力を入れてきたということです。テンプルスクエアに、十戒や福音書の言葉などを彫った碑があり、それには「By Works was Faith made Perfect」「The Glory of God is Intelligence」といった言葉(これらはジョゼフ・スミスやブリガム・ヤングの言葉であったり、施政にあたって用いられたらしいDoctrine and Covenants(1)という文書にある言葉です)も彫られていました。学問と芸術の振興に力を入れてきた現れは、ブリガム・ヤング大学であり、大集会所の合唱団であり、ユタ州立オーケストラであります(2)
 ガイドツアーの後で昼食にしようとすると、日曜日のこととて営業しているレストランがほとんどありません。それでも何とか、営業しているファミリーレストランを見つけて昼食にした後(このファミリーレストランが、「アルコール飲料は出さない」レストランだったのです)、いったんホテルへ戻って午後は自由行動になりました。他の人たちは早速土産物の買い出しに出かけましたが、自分は大集会所で午後2時からオルガン演奏会があるという情報を得ていたので、一人でまたテンプルスクエアに行きました。
 オルガン演奏会は、テンプルスクエアの大集会所で行っているとはいっても、曲目は宗教音楽に限らないようです。「ようです」というのは、特にプログラムも配ってなかったので、演奏されている曲目がわからなかったからですが。どうも日本ではオルガンそのものが市民生活にあまりなじみがないせいもあるのでしょうか、クラシックのオルガン曲というとバッハしか知られていない様子がありますが、オルガンが身近にある西ヨーロッパでは、バッハより後にもオルガンのための曲がたくさん作られていて、それらが演奏会のレパートリーになっているようです。バッハ以後の、歴代のライプツィヒのトーマスカントルは、バッハと同じようにカンタータを作曲するのが仕事だったはずですから(3)
 オルガン演奏会の後、もう一度ビジターセンターでモルモン教の教義に関する展示を見てから、すぐ近くにある歴史博物館へ行きました。ここにはジョゼフ・スミスがモロナイの啓示を受けてから、ユタ植民地の建設が軌道に乗るまでの歴史が、いろいろな遺品によって展示されています。アメリカ西部開拓というと、「大草原の小さな家」の原作にあったように、幌馬車に家財道具を積んで草原をゆくというイメージがあると思いますが、ユタ植民地への入植者には幌馬車を仕立てる財力のない人々も多く、そうした人々はHandcartという荷車に家財道具を積んで、人力で車を押し引いて、東部からロッキー山脈を越えてソルトレイクシティまでやってきたのです。その荷車の実物が博物館にあり、テンプルスクエアには荷車を押す家族のモニュメントがありました。モニュメントといえば、ソルトレイクシティの建設が始まって間もない頃、イナゴの大群が来襲して農作物が全滅しそうになった時、どこからともなくカモメの群が現れてイナゴを駆除し、飢饉を免れたという出来事があり、それを記念したモニュメントもあります。海から何千キロも離れた内陸部になぜカモメがいるのか、グレートソルトレイクがあるといっても塩分濃度が海水の6倍とも言われるくらいで、カモメの餌になる魚など棲んでいないはずだが、と思いましたが、実際に街の中でもカモメが飛んでいます。
荷車を押す家族のモニュメント カモメのモニュメント モルモン教本部ビル
荷車を押す家族のモニュメントカモメのモニュメントモルモン教本部ビル
 この日の夜は、明日からの会議に先立って、mixerという一種の懇親会がありました。日本で懇親会に出ると、ここを先途とひたすら食べ、その間に酒を飲み、思い出したように知人と話している輩がここにいますが、アメリカではパーティーというのは話すことによって友誼を深めるのが第一義であって飲み食いは二の次とされているようで、この日のmixerには食べ物は何も出ませんでした。会そのものは参加無料で、飲み物が欲しい人は会場の隅にあるスタンドで飲み物を買って飲むのですが、ここにもアルコール飲料はありません。そして日本の懇親会との大きな違いは、煙草を吸う人がいないことです。これはやはりアメリカで、ユタ州ではこの会議の会場となった国際会議場を始め、公共建築物の中は全て禁煙です。その代わり会議場を一歩出ると、いかにも会議場から抜け出してきたという風体の人が、ニコチン補給にいそしんでいますが。

脚注
(1)日本語では「教義と聖約」。帰国後にモルモン教の宣教師からもらった日本語版「モルモン書(The Book of Mormon)」によると、モルモン教では「聖書」「モルモン書」「教義と聖約」「高価な真珠」の4書を正典としています。[戻る]
(2)たまたま公開前の2月12日にMSNのオリンピック特集ページを見ていて「五輪閑話休題」という記事を見つけましたが、その記事にはこうありました。
3. ユタ州が米国でもっとも識字率の高い州であることを来訪者は知るだろう。[戻る]
(3)神奈川県在住の妹が加わっている、バロック時代の作品をレパートリーにしている合唱団が、1997年にドイツへ演奏旅行を行い、それに便乗する形でドイツへ行った両親ともどもライプツィヒを訪れたことを念頭に置いて書いています。トーマスカントルとは、ライプツィヒの聖トーマス教会の音楽監督という職で、J.S.バッハ(在任1723〜1750)以後も代々実力のある音楽家が就任しています。[戻る]
(2002.3.6 2004.12.21改訂)

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