クローンについて

最近のニュースですが、今開かれている国会で「クローン規制法」、正式名称は「ヒトに関するク口ーン技術等の規制に関する法律」が成立することになりました。
カエルの卵に他のカエルの細胞の核を移植して、核を取ってきたカエルと遺伝的に全く同じオタマジャクシを作る、という体細胞クローン技術が確立されつつあると、私が科学雑誌「Newton」で読んだのは十数年前でした。
その当時は、両生類のクローンは比較的簡単に作れるが哺乳類のクローンを作るのは非常に難しいとされ、その後長い間、哺乳類、中でも有用家畜のクローンを作るために、各国の科学者が研究を続けてきました。
そして世界最初の体細胞クローン羊「ドリー」がイギリスのロスリン研究所で生まれてから、その後は日本の畜産関係の研究機関で、体細胞クローン牛が次々に生まれています。
科学技術の基礎的な分野では、日本はどうも欧米に水を開けられているような感じがするのですが、この分野に限っては世界をリードしていると言ってよいでしょう。

しかし体細胞クローンの技術が、牛や羊といった大型哺乳類で実用化の域に達してきたとなると、次はそれが人間に応用されるということは決して荒唐無稽な考えではありません。
クローン技術によって人間のコピーを作るというのは、少し前のSFにも取り上げられている題材で、アニメ「ルパン三世」の2時間版にも、確かそういうのがあったと思います。それが放送されたのは、いつ頃だったでしょうか。
ドリーが生まれたあたりから、クローン技術を使えばスターリンのコピーが作れるというような、いささか煽情的な声が広まってきたようで、それでクローン規制法が制定されたのでしょう。しかも日本だけでなく、覚えているところではかなり早いうちにアメリカのクリントン大統領が声明を発表しましたし、クローン技術を人間に応用することを法的に規制する動きは、欧米の方が先だったと思います。
クローン規制法という法律、特定の学術研究を行うことを罰則付きで禁止する法律が、中世のヨーロッパや江戸時代の日本ならいざ知らず、今の日本で成立するという事には、正直に言うと軽い当惑を覚えずにはいられません。
しかも私が知る限り、全てのマスコミの論調が、あたかも数学の公理が証明を要しない無前提で適用されるが如く、クローン技術を人間に応用することは議論を要しない「悪」であると最初から断定していたような気がすることにも。
その際、クローン技術を人間に応用することを禁止する根拠として、必ずと言っていいほど持ち出された常套句が「人間の尊厳」だったと思うのです。
成立した法律の条文も、こうなっています。

第一条 この法律は、ヒト又は動物の胚又は生殖細胞を操作する技術のうちクローン技術ほか一定の技術(以下「クローン技術等」という。)が、その用いられ方のいかんによっては特定の人と同一の遺伝子構造を有する人(以下「人クローン個体」という。)若しくは人と動物のいずれであるかが明らかでない個体(以下「交雑個体」という。)を作り出し、又はこれらに類する個体の人為による生成をもたらすおそれがあり、これにより人の尊厳の保持、人の生命及び身体の安全の確保並びに社会秩序の維持(以下「人の尊厳の保持等」という。)に重大な影響を与える可能性があることにかんがみ、クローン技術等のうちクローン技術又は特定融合・集合技術により作成される胚を人又は動物の胎内に移植することを禁止するとともに、クローン技術等による胚の作成、譲受及び輸入を規制し、その他当該胚の適正な取扱いを確保するための措置を講ずることにより、人クローン個体及び交雑個体の生成の防止並びにこれらに類する個体の人為による生成の規制を図り、もって社会及び国民生活と調和のとれた科学技術の発展を期することを目的とする。
(太字は筆者。法律全文は、衆議院のホームページにあります)

「人と動物のいずれであるかが明らかでない個体」を作り出すおそれがある技術というのは、平たく言えば異なる種の生物から雑種を作る技術ということです。2つの細胞を融合させて1つの細胞にしたり、2つの胚をばらばらの細胞に分けて混ぜ合わせて1つの胚にする技術は、バイテクの先端技術ですが、雑種を作ること自体は園芸の方面では古くから行われていますし、馬とロバを交配して雑種であるラバを作るということは、何千年も前から人類が行ってきたことです。
まあ、人間と動物の雑種という生物ができてしまったら、それを人間と見なすかどうか、法的社会的に大問題を惹き起こすのは間違いありませんから、それを防止する必要があるのはわかります。
しかし、ある個人と同じ遺伝子を持っている人間が出現することが、あたかも現代の黒魔術であるかのような言い方には、ちょっと過敏反応ではないかな、と感じます。
全く同じ遺伝子を持った人間が出現することは、一卵性双生児という形で、太古以来自然に起こってきたことです。
成長して大人になった一卵性双生児が、人格の隅から隅まで完全に同じだということは、普通はあり得ません。
一卵性双生児の人格は完全に同じだと思っている人がいるとしたら、それは人格の形成に際しての後天的影響をあまりにも無視した、遺伝子万能主義、DNA崇拝ではないでしょうか。
まして今、スターリンのクローンである人間がロシアに生まれたとしても、今のロシアにはニコライ2世もレーニンもトロツキーもいません。時代も違えば社会環境も違います。スターリンと全く同じ遺伝子を持つ人間が生まれても、全く同じ人間に成長することなどあり得ないはずです。

それではなぜ、人間のクローンが出現することをこれほどに恐れ、忌避するのかと思うに、私たち人間には、自分が「世界にたった一人の、かけがえのない人間」でありたいという願望があるのではないでしょうか。
どんな人間でも、それと完全に同じ人間は存在しない、それが繰り返し言われる、「人間の尊厳」の根底にあるのだと。
文学作品などに一卵性双生児が登場する場合も、推理小説のトリックに使われる場合を別にすれば、その同一性を強調するよりは、違いがあることを強調する方が多いような気がします。
これもやはり、一卵性双生児は同じ人間ではない、違う人間である、違う人間でありたい、という願望の影響ではないかと思います。
遺伝的に同じであるかどうかというのとは別に、社会の中でも「かけがえのない」地位を占めていたい、という願望があるのだと思います。
職場の上司に言われたくない言葉の一つに、「お前の代わりはいくらでもいる」という言葉があると思います。

さて最後に、ちょっとしたオチを一つ。
実は「クローン農産物」は既に、私たちの食卓に上っているのです。
「そんな馬鹿な、もしそうなら即刻、厚生省に抗議しなければ」とお思いのあなた。
あなたは次の農産物を食べたことがありませんか?
ジャガイモ、里芋、温州みかん、バナナ、タケノコ。
これらはみんな、種ができず、種芋や接ぎ木、株分けで殖やします。
クローンの本来の意味は、そうやって種を作らずに殖やした物を指すのです。
(2000.12.8)

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