浦島太郎とリップ・ヴァン・ウィンクル

先日2番倉庫に公開した短編「正直な与兵衛」を書いたきっかけは、あとがきに書いた通りです。
つまり、多くの民話に見られるパターンとして、ここで原型として使った「鶴女房」型の民話で言えば、人間の女に姿を変えてやってきた鶴が、人間の男に恩返しをしようとする時、「自分が機を織っているところを見てはいけない」という戒めを人間に課し、人間が必ずそれを破る、というパターンがあります。
そこで、もし人間がその戒めを最後まで破らなかったらどうなるか、と考えたのが、「正直な与兵衛」を書いたきっかけだったわけです。
「鶴女房」タイプの民話は、異世界の住人が人間界にやってきた場合ですが、逆に人間が異世界に行って、異世界の住人から戒めを課されるタイプの民話といえば、すぐに思いつくでしょう、「浦島太郎」です。浦島太郎のあらすじを知らない人は、まさかいないと思いますが。
浦島太郎が亀を助けます。助けられた亀は恩返しに、太郎を竜宮城へと招待します。歓待された太郎が竜宮城から人間界に帰る時、乙姫は太郎に玉手箱を与えて、「これを開けてはいけない」と言います。帰ってくると人間界では、竜宮城で過ごした太郎が全く想像もしていないほどの年月が過ぎています。そこで太郎が玉手箱を開けると、封印されていた歳月が太郎に降りかかり、太郎は白髪の老人になってしまいます。
これ、どう思いますか? 普通に考えれば、数十年の人生を一瞬の間に吹き飛ばされてしまうことは、浦島太郎にとっては大変な(少なくともそうなることを予想できなかった)不幸でしょう。乙姫が太郎をそんな不幸に突き落としたくなかったなら、そもそも太郎に玉手箱なんか持たせなければいいのです。
とすれば乙姫は、玉手箱なるもっともらしい物を太郎に持たせる際、太郎がそれを開けずにはいられない誘惑に駆られることを予想して、その中にこんな爆弾を仕掛けていたのでしょうか。
もしそうなら、こんな陰険な話はありません。昨今ネットワークを流れている、「トロイの木馬」そのものではありませんか。これはもう、アンチウイルスソフトのメーカーに届け出なければ(違)

この話について、太宰治が「お伽草子」で提示した解釈を知ったのは、高校の現代国語の授業でした。
「お伽草子」は太宰治が戦時中、妻子と共に最も健全な社会生活を営んでいた時代に書いた作品で、太宰治には珍しく(偏見か?)健全な空気が流れています。
そこでの解釈は、浦島太郎が老人になったのは「不幸ではなかった」というものでした。
授業で読んだのはだいぶ前のことですし、手元に原文がないので正確には書けませんが、竜宮城での暮らしは遠い昔の思い出となることで、より一層美化される、というような論法だったと思います。
その後、アメリカにも「リップ・ヴァン・ウィンクル」という伝承があることを知りました。
これは浦島太郎よりは、むしろ中国の「桃源郷」あるいは「爛柯」の伝承に似ていて、山の中へ入っていったリップが、特に何か異世界へ行ったということでもないのに、戻ってくると何十年も経っているという話です。
浦島太郎とどう違うかを考えてみると、リップは玉手箱を持っていません。つまり、老人になる可能性がないのです。
ここで少し、仮定をしてみます。江戸時代以前の日本や、開拓時代のアメリカは、社会の変化が今の日本よりはずっと緩やかだったはずですが、もし、急速に社会が変化していく時代だったとしたら、どうでしょうか。
戦後30年くらい経って、グァム島やフィリピンから帰国した日本軍人の話は、ご存じの方も多いと思います。社会の変化を全く知ることなく、何十年もの歳月と急激な変化を経た社会に突然戻ってきた人たちの置かれた状況は、浦島太郎やリップと共通すると思います。周りの人たちとは、価値観も物の考え方もすっかり違ってしまっています。
もし、戻ってきた人が、社会から切り離された数十年前の年格好のままだったら、どうでしょうか。
肉体的には若いのに、同年代の周りの人たちとは、価値観も物の考え方も全く合いません。時代との絶望的な断絶を抱えたまま、これから先ずっと生きていかなければならないとすると、これは相当悲惨なことかもしれません。
それに対して、戻ってきた人が、過ぎ去った年月相応に年を取っていたとすれば、周りにいる同じ年格好の人たちとは、完全に同じ価値観と物の考え方を共有できるとは限りませんが、何十歳も若い世代の中に投げ込まれるよりは、周りとの断絶は少ないでしょう。
時代に取り残されたまま長生きするのと、時代相応に短い余生を生きるのと、どちらが幸せだと言い切ることは私にはまだできません。どっちも不幸、と言う人が多いでしょう。
でも私が重要だと思うのは、リップには前者しか道がないのに対して、浦島太郎には、前者と後者のどちらを生きるかを、自分の意志で決定する権利が与えられていた、ということです。
そう、それが玉手箱だったのです。
前者の生き方を選びたければ、玉手箱を開けなければいい。後者の生き方を選びたければ、玉手箱を開ければいい。乙姫が浦島太郎に玉手箱を渡した時、そういって説明しはしなかったでしょうが、結果としては浦島太郎は、自己決定権を与えられていたのです。
そう思うと、乙姫は人間の心の弱さにつけ込んで人間に災厄をもたらした邪悪な魔女ではなかった、と思うことができるでしょう。
(2000.7.10)

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