ルーベンスの絵

5月の末に上京した時、上野の東京都美術館では「ルーベンスとその時代展」が開かれていました。私は西洋美術には多少の関心がありますので、上京の折に見に行ってみたいとも思いましたが、時間の関係で見に行けませんでした。
ルーベンスは、17世紀前半、美術史ではバロックといわれる時代に活躍したフランドル(現在のオランダ・ベルギーを中心とした地域)の画家です。「ボレアスとオレイテュイア」でしたか、ギリシャ神話に題材を取った、日本初公開の作品が今回の展覧会の呼び物になっていて、上野界隈の街角に立てられたのぼりにも、その絵の一部が使われていました。
帰ってきてから図書館へ行って、百科事典で「ルーベンス」「バロック美術」の項目を調べると、「マリー=ド=メディシスの生涯」「パリスの審判」「レウキッポスの娘たちの略奪」などの作品が図版に載っていました。
さて、こういったルーベンスの代表的な作品、特にギリシャ神話に題材を取った作品には、一つの特徴があると思います。それは、描かれる女性──題材から言って、女神やニンフが多いですね──が、非常に「肉付きがよい」ことです。同じヨーロッパの絵画でも、ルネッサンスイタリアの画家ボッティチェリの代表作、「ヴィーナスの誕生」に描かれたヴィーナスとは大違いです。
私たち今日の日本人の感覚からすると、ボッティチェリのヴィーナスの方がルーベンスの女神より「美」にふさわしいような気がします。個人の嗜好には立ち入りませんが、ルーベンスの女神の、ウエストがどこにあるのかわからないような体型(爆)を見て、女性の肉体美の理想と感じる人は、あまり多くないのではないかと思います。
余談ですが、ボッティチェリの「春」をパクって「八十八学園の『春』」を制作した後、「古典名画パクリシリーズ(ぉ)」とでも題して次のCGを制作しようと思い立った時、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」も候補に入れようと思ったのですが、ある理由により却下しました。その理由は、お客様ご自身で判断して下さい。
少し真面目に考えてみましょう。ルーベンスの絵に描かれた女性が、今日の日本人の感覚からすると太りすぎとしか見えないような体型をしているというのは、それがその時代その土地、すなわちバロック時代のフランドルの人々の判断基準、つまり「美人の基準」に合致していたからだと思います。この時代はまだ、画家は芸術家と言うよりは職人でしたから、周りの評価を気にせずに画家自身の美的基準を強く押し出すということはしなかったと思いますし、まして「マリー=ド=メディシスの生涯」は当時のフランス王妃から注文を受けて、王妃の栄華を称えるために描かれたのですから、その絵の中に敢えて「醜い物」を描くなどということはしなかったでしょう。この時代の芸術は、中世のように「神の栄光を称えるため」にのみ制作されていた状況からは脱却を始めていましたが、それでも「真・善・美」を称えることが制作の主たる動機であったと思うのです。
そうするとバロック時代のフランドルの人々は、太っていることが美人の象徴である、そうまで言わないとしても太っていることを良しとするような価値観を持っていた、と想像されます。
これは、少し考えてみればもっともなことです。当時の北ヨーロッパは、農業技術が未発達だったこともあって、今日の私たちには想像もつかないほど、農業生産力が低かったのです。麦作と酪農が主体だった当時のヨーロッパの人口密度は、同じ頃、稲作が主体だった日本や中国南部よりずっと低かったのですが、その理由はまさに、農業生産力の低さにありました。
農業技術が未発達だったというのは、例えば中世のヨーロッパでは二圃式農業といって、農地を半分に分け、半分の農地で今年麦を作ると、その土地では来年は何も作らず、自然に地力が回復するのを待って、再来年になってから麦を作る、という農法が行われていました。単純に考えても、実質的な耕地面積が現在の半分しかないのと同じです。
しかも水田の潅漑水に含まれる肥料成分だけでそこそこに収穫できる稲と違って、畑で麦を作る時には肥料をやらないとまともな収穫は見込めませんが、当時は肥料をまくことをしなかったのですから、半分の面積しかない畑から収穫できる麦もたかがしれています。その上、深く耕せる犂はない、病気や害虫を防ぐ農薬はない、鳥の害も防ぐ術がない、という状態でしたから、収穫できる麦はわずかなものでした。中世のヨーロッパでは、平均的な麦の収穫量は、蒔いた麦の種の量の、なんと2倍にすぎなかったといわれています。毎年農業を続けていくためには、種はどうしても必要ですから、人間の食糧に回せる麦は、本当にわずかです。ちなみに現在の日本の稲作では、植物学的に見た稲と麦の違い──1粒の種から育った植物には、稲の方が麦よりもたくさんの籾が着きます──を考慮する必要がありますが、収穫量は種籾の約200倍から300倍です。
それとの関連で、少し話がそれますが、土地面積の単位についてです。古代の日本で、班田収授法のもと成人男性一人に割り当てられた水田は2段、約2400uでした。これは、その面積の水田から収穫した米から来年の種籾と租税を取り分けた後の残りが、成人男性一人の1年分の食糧に、ほぼ必要かつ充分になる面積だったと考えられます。実際、その頃の米の収量は10アールあたり約100kgだったといわれています。それに対して昔オランダで用いられた土地面積の単位はモルゲン(morgen)といって、1モルゲンが約8500u、ヨーロッパよりもっと生産力が低かったと思われるロシアで用いられていたデシャチーナ(dessiatine)という土地面積の単位は、1デシャチーナが約10900uでした。元来度量衡の単位はその社会での実用的な大きさに合わせて定められるとすると、これらの面積単位は、その社会で農民一人が食べていくのに必要な農地の面積に基づいていると考えられますから、その面積単位が日本よりずっと大きかったということは、逆にそれだけ、同じ面積の土地の生産力が低かったことを表していると思います。
要するに、食糧生産が絶対的に乏しい社会でしたから、そういう社会にあって「太っている」ということは、取りも直さず「太るほど食べることができる」という財力と地位の象徴であり、はっきりとしたステータスシンボルだったはずです。ですから太っていることは、それだけで羨望と称賛の的であったはずであり、人間の理想像だったのに違いありません。19世紀から20世紀にかけての頃の、中国南部の社会を描いた小説「大地(パール・バック作)」を読んだことがありますが、地主・豪商・役人といった富裕階級の人間を描写する際には、ほぼ例外なく「太っている」と描写してありました。
時代は変わって、現代の先進国は、誰もが充分食べることができ、食べ過ぎることが健康の悪化、ひいては社会的損失をもたらすことが一般的に認識されるという、人類始まって以来一度もなかった状況に至っています。最近アメリカでは、太っているのは自己管理能力に欠けると見なされ、出世に不利になるという風潮があると聞きます。日本でもつい50年前には、全国民が飢餓の中にあったのですから、隔世の感があります。今の日本で、病的なまでに痩せているのを良しとするように美的基準が変わってきたのは、その影響があるのかもしれません。
(2000.6.9)

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