エイプリルフール

5月にもなってこんな文章をアップするのも何ですが、4月1日は「エイプリルフール」です。インターネットでは、大なり小なり、サイトを訪れた客を驚かせ、担ごうとするような仕掛けが行われたサイトがあったようです。そのうちの一つに、私が見事に引っかかってしまったのは、4月1日の運行日誌に書いたとおりです。
まあ、「夏コミにこんな本を出します」くらいならジョークで済みますが(しかしそれをやったサイトの管理者の方の許に、「通販希望」のメールが何通も来て、反響の大きさに恐縮していたとか)、「このホームページは閉鎖しました」とか、それに類するような「ページを表示できません」「ERROR 404 File not found」というのは、あまりシャレにならない気がします。まして「○○(新発売の家庭用ゲーム機)を定価の×割引きで譲ります」だけは止めた方がいいでしょう。実際にそれをやったサイトを見たわけではありませんが。
何はともあれ、「本日、4月1日をもって『800Tours』が開業します」がエイプリルフールにならずに済んで、一番ほっとしたのは管理者たる私だったと思います(苦笑)。
来年の4月1日には、何か、開設1周年記念企画をやろうかと思っています。何かが笑う声が聞こえてくるような気がしますが、きっと空耳でしょう。

さて、そもそもエイプリルフールの起源は何なのか、さっそく図書館で調べてみました。
昔の新年は現行の暦の3月25日で、それから4月1日まで春分の祭りがひろくおこなわれ、その最後の日には贈物を交換するならわしであった。ところがフランスでは1564年にシャルル9世が新しい暦法を採用して、新年を現行の1月1日に改めたが、それが末端までとどかず、やはり4月1日が新年の祭りの最終日と考えられてその日贈物がかわされ、なかには新年のかわったことをよろこばぬ人々が、4月1日に昔の正月をしのび、でたらめな贈物をしたり新年の宴会のまねをしてふざけたのがおこりで、それがヨーロッパ各国にひろがったとみられている。
(平凡社『世界大百科事典』より)
古い暦では新年が3月から始まるというと非常に奇異な感じがしますが、「1年の3番目の月」でなくて「March(イギリスの場合)」から始まると思えば、それほど変でもありません。ヨーロッパの各言語の、9月から12月までの月の呼び名は、古代ローマでは年の初めが3月で、3月を「第1の月」として数えていた名残です。
(英語の場合:9月 September = 第7の月 10月 October = 第8の月 11月 November = 第9の月
12月 December = 第10の月)
そもそも暦という物は、止まることなく流れ続ける時間を、人間の生活に都合の良いように印を設けて区切ることから始まった物です。
生物学的に見ると人間という動物は、哺乳動物の中では例外的に、特定の発情期を持っていません。これはもともと霊長類の起源地が熱帯雨林であり、季節による餌の量の変動が少なかったため、大量の餌を要する妊娠後期から授乳期を特定の季節に合わせる必要に迫られることがなく、むしろ天敵の襲撃に対する危険分散の面からは、群れの中に妊娠後期の雌や生まれたばかりの仔という外敵に弱い個体が出現する時期が分散していた方が有利だったからでしょう。
熱帯雨林で果物や昆虫を食べていた人類の祖先が、その生息範囲を次第に広げていきます。現代に継承されている文明の発祥地は、エジプト・メソポタミア・黄河流域など、いずれも温帯に属します。なぜ文明の発祥地が、生物としての人類の発祥地である熱帯でなく温帯に多いのか、それは私にはわかりませんが、いずれにせよ人類が温帯に定住するようになると、熱帯とは事情が異なってきます。はっきりとした季節があり、手に入れられる食料の種類と量が、季節によって大きく変動するからです。果物しかり、木の芽しかり、鳥の卵しかり、昆虫しかり。食料としての比重は小さいですが、狩猟の対象になる獣も季節によって量が変動します。
こうなってくると人類は、季節の変化と、それが一巡するという周期の存在を、否応なしに認識することになります。農耕を行うとなればなおのこと、牧畜を行っている場合でも、家畜の餌となる草は季節に応じて芽吹き、育ち、枯れていきますし、家畜の中には馬のように明瞭な発情期を持っている種類もあります。
ここでやっと本題に戻ります。年の初めを四季のどこに置くか、それは民族、文化によって異なります。
もし人類に特定の発情期があれば、子供たちが次々に生まれてくる時期を年の初めにしたかもしれませんが、人類にはそれはないので、年の初めをいつにするかを決定する、人類自体に内在する要因はありません。狩猟・採集民族であれば、年の初めをいつにするかはいろいろあるでしょう。農耕民族、なかんずく特定の種類の一年生草本を栽培し、その種を収穫して主たる食料にする民族であれば、最も重要な労働であるところの、その作物を栽培する一連の作業が始まる頃に年の初めを設定し、あるいは収穫が終わる頃に年の終わりを設定するでしょう。少なくとも作物を栽培している途中に年が変わるような設定の仕方は、あまりしないと思います。
その考え方からいくと、稲・アワ・キビ・ヒエ・大豆といった、春に栽培を始めて秋に収穫する作物を主に栽培している東アジアの暦が、秋と春の間に年の初めを設定しているのは理解できます。日本で言ういわゆる旧暦は、時代によって微妙な違いはありますが、基本的には古代中国で採用されていた暦を踏襲してきた物で、年の初めは冬至から30ないし60日後にあります。中国でも、年の初めを冬至から約10日後に置く、現行のグレゴリオ暦を採用してから何十年も経っていますが、今でも民衆の間ではグレゴリオ暦の年始よりも旧暦の正月の方を盛大に祝っているというのは、上に引用した改暦後のフランスを思わせます。
ただ、そうすると少しわからないのは、主たる穀物として麦類を栽培しているヨーロッパの暦が、麦の蒔き時(秋)と収穫(夏)の間に年が変わるようになっていることです。これは年の初めが冬至の少し後であろうと春分の頃であろうと同じです。
その理由について考えてみると、もし当時のヨーロッパ、あるいはヨーロッパで採用されている暦を作り出した地中海東部一帯で、麦の栽培よりもっと重視された、一年を周期とする労働があり、それが冬至あるいは春分の頃を年の初めとするのが自然であるならば、それが年の初めを決める基準となったかもしれません。古代中国でも日本でも麦は栽培されていましたが、少なくとも日本では稲作が本作、麦作は裏作という意識があったから、麦の栽培暦を基準にして暦を作ることはありませんでした、それと同じです。
ではそれが何であったかとなると、私が思うには羊の飼養だったのではないでしょうか。羊には馬と同じように明瞭な発情期があって、春になると子羊が生まれてきます。それに加えて、草が生えてくる春に放牧を始め、草が枯れる秋に放牧を終えるとすれば、子羊が生まれてくる時期かつ放牧を始める時期を年の初めとするのは自然の成り行きでしょう。古代地中海世界で、牧畜が農耕より重視されていたのは、旧約聖書にあるカインとアベルの伝承、すなわち土を耕す者カインは土から収穫した物を、羊を飼う者アベルは羊と子羊を神に捧げた時、神はアベルとその供え物を顧みたけれどもカインとその供え物を顧みなかった、という伝承(旧約聖書 創世記 第4章第3〜5節)にそれが現れていると言われています。
さてヨーロッパで作り出された暦は、古代ローマのユリウス暦の場合、冬至の10日ほど後を年の初めとしています。庶民の労働として、麦の栽培や家畜の管理が一年周期の労働として重要であるとしても、実際に暦を定めるにあたっては、何か特定の天文現象を測定して、それを年の初めとすることになります。これは、かなり文明の発達した社会でのことです。
おそらく、ヨーロッパでの初期の暦は、冬至を年の初めとしていたのではないでしょうか。冬至というのは昼が一年で最も短くなって、その日からは昼が長くなり始める日です。これは古代の人々には、老い衰えていった太陽が若く新しい太陽に生まれ変わる時、と考えられていたと思います。寒い冬はまだまだ続きますが、その日を境に太陽が新しく生まれ変わる日、ということであれば、その日が年の初めとしてふさわしいでしょう。
キリスト教会では12月25日、キリスト降誕の日(クリスマス)を重要な祝日としていますが、これも元々は、年の始まりであった冬至、すなわち新しい太陽が生まれる日に、神がこの世に遣わした地上の太陽とも言うべき救世主が生まれたとしたのではないかと思います。
そしてもう一つの年の初め、春分ですが、これは地中海世界ではなくて、北ヨーロッパの古代ゲルマン民族の社会で重要な祝日となっていました。冬が長く寒さが厳しい北ヨーロッパでは、新しい年が来たということを認識するには、冬至の後しばらくの時期はあまりにも寒かったのではないでしょうか。それで、春の訪れを本格的に実感できる春分の頃を、新しい年の初めとしていたのではないかと思います。私も、首都圏に住んでいた頃には春の訪れをそれほど実感しませんでしたが、雪深い新潟県に住むようになってから、雪解けと春の訪れを身にしみて実感するようになりました。
キリスト教会では復活節(イースター)を、降誕節と並ぶ重要な祝日としています。北ヨーロッパのゲルマン民族にキリスト教を布教していく際に、現地に前からあった春分の祭りと復活節を重ね合わせたことで、復活節は本来のキリスト教の祝日とは少し違った意味を併せ持つようになり、豊饒を象徴する卵、あるいは卵をかたどった菓子が贈り物として今も使われているそうです。
外国の祭りを何でも取り入れて商売ネタにしてしまう商魂たくましい日本人にしては珍しく、日本では復活節は、降誕節と違ってほとんど商戦の舞台になっていませんが、これは復活節の定義が「春分後の最初の満月の後の最初の日曜日」というので、今年の場合は4月23日でしたが、年によって1ヶ月以上も移動してしまい、年中行事に組み入れにくいからでしょうか。
(2000.5.13 5.18改訂)

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