桂芳恵精神病棟開設三周年記念文章(仮称)
制作者 夕凪様 拝受 2004年11月20日

この作品は、2000年8月に「桂芳恵精神病棟」に寄贈されました。「桂芳恵精神病棟」の閉鎖に際して、管理者桂芳恵さんと作者夕凪さんのご希望により、当サイトでお預かりすることになったものです。

<桂芳恵精神病棟開設三周年記念文章(仮称)>

 西暦2000年 8月19日。
 夕凪は某所を訪れていた。普段よりもちょっとだけぱりっとした格好をしている彼の手には一枚の葉書が握られている。
 それにはこうあった。

 『開設3周年記念パーティ招待状』

 と。
 彼はその会場たる某ホテルの大広間に向かうべく、歩き始めた。

  ☆

 祐一は、息を切らせながら会場に駆け込んだ。
 時計を見る。よし、なんとか間に合ったぞ。
「遅いよっ、祐一君!」
 会場に入るなり、そんな声が聞こえて来た。
 声の主は、見るまでもなくあゆに間違いなかった。
 あゆにしては珍しく、パーティに見合った格好をしている。
 それは、あゆの周りにいる女性陣……名雪や香里たちにしても同じだったが。
「悪い悪い。途中で見知らぬ女の子と衝突してしまってな」
「うぐぅ……」
「こんな時に遅れるなんて、祐一緊張感なさ過ぎだよ」
 いや、お前に言われたくないぞ名雪。
「いいじゃない。何とか間に合ったんだから」
 珍しく香里がフォローしてくれる。
「……と言うわけで栞、賭けはあなたの負けね」
「祐一さん、嫌いです……」
 ってお前ら俺を賭けの対象にしてたんかいっ!
「あははーっ、パーティなんて久しぶりだよねー、舞?」
「……(こくり)」
 佐祐理さんと舞はいつも通り……じゃなくって、いつぞや見たドレス姿で周囲の男どもの視線を釘付けにしていた。
 その隣では真琴が豪華な食べ物に目を輝かせている。ちなみに天野は今日は欠席である。人の多いところは苦手だそうだ。
「ところで、祐一君。今日は一体何のパーティなの?」
「さあ……実は俺も良くは知らないんだが」
 祐一が首を傾げたとき、
『えー、皆さん、そろそろパーティを始めたいと思います』
 司会進行役らしい男が、マイクを使ってそう呼びかけた。

 ☆

「結構たくさん人がいるなぁ…」
 パーティ会場を見渡しながらそう呟く。
 何か所かにテーブルが別れていて、それぞれ招待客らしい人々が談笑している。
 私こと夕凪は単独でパーティに参加しているから、テーブルの周りにいる人々とは直接面識がない。
 だからどんな人々が招待されているのかは分からない。
 自分はたまたまパーティの主催者と知り合いだったから、今回のパーティに呼ばれただけなのだ。
(確か、病院の開院3周年記念とかいう話じゃなかったっけ?)
 なんて事を考えているその横を、長い髪を頭の両側で分けて、赤いリボンで結っている女の子が、憤然とした表情で歩いていくのが見えた。
「どうしたんだろう?」
 ふと興味を抱いて、その子の後ろ姿を目で追ってみる。
 女の子は足音高くまっしぐらに歩いていった。
 そして、テーブルの所に立っていた男の子を大声で怒鳴りつけたのである。
「何考えてんのよっ! あんたっ」

 ☆

「……げっ」
 突然怒鳴りつけられた祐一はびっくりして振り返り……相手の顔を見て絶句した。
 さっき衝突した女の子だ。
「や、やぁ、こんな所で会うとは偶然だね……」
「上面から派手にぶつかっておきながら、か弱い乙女を介抱もせずに逃げるなっ! このどあほっ!」
 相手は両手を腰に当ててそう啖呵を切った。
 一見美少女なのだが、こう怒鳴られるとそれどころではない。
 見た目と言動の落差の激しい女の子だなぁと祐一は思った。
「どうしたの、七瀬さん?」
 その後ろから、更に見知らぬ女の子が近寄ってきた。あ、こっちの子も可愛い。
 すると、さっきまで啖呵を切っていた女の子は急に態度を変えて、
「あ、ううん、なんでもないの」
 にっこりと微笑みながらそんなことを言った。さっきまでの剣幕はどこへ行った?
「私たちのテーブルはこっちだよ。浩平とかみんな待ってるよ」
「あ、うん、すぐ行くから。瑞佳、先に行ってていいよ」
「じゃあ、先に行ってるね」
 瑞佳と呼ばれた女の子はトテトテと歩いていった。
 向こうのテーブルに戻るのを確認するやいなや、
「今回だけは勘弁しておいてあげるわ」
 七瀬と呼ばれた女の子はそう言って祐一の方をひと睨みすると、そちらのテーブルの方へ歩いていった。
 ドレスを着た、とってもかわいい女の子なのに、
「どあほっ!」
 はないよなぁ……と祐一は思った。
『それでは、パーティを始めたいと思います』
 司会の声に合わせるように、場内の照明が暗くなった。

 ☆

「なんだぁ、一波乱ありそうだと思ったのに」
 すっかり傍観者気分でその二人を見ていた私は、急に場内の照明が暗くなったので思わずぎょっとなった。
 パーティがいよいよ始まるらしい。
 きらびやかだった会場がすっぽりと暗闇に包まれる……と、
「みゅーっ、みゅーっ!」
 なんか悲鳴とも泣き声ともつかない声が、どこからか聞こえてきた。

 ☆

「うわ、椎名っ、こんな所で泣くんじゃないっ!」
「みゅーっ、みゅーーっ!」
「繭、恐いの?」
「……えぐっ……うん……」
「困ったね……どうしよう、浩平」
「はぁーっ、仕方ない。七瀬、ちょっとこっちに来い」
「えっ? 何、折原……って、ぎゃーっ!」
「みゅ〜♪」
 七瀬のお下げを引っ張ってご満悦の椎名であった。
「よし、なんとかなったぞ」
「良かったねぇ」
「あたしが良くないっ!」
「ごめんね、七瀬さん」

 ☆

『えー、皆さん、本日は、桂芳恵精神病棟開設3周年記念パーティに参加いただき、誠にありがとうございます』
 司会進行役の男が告げた。
『では最初に、院長の、桂芳恵さんより、お言葉を賜りたいと……』
 あっ、院長の登場だ……私がそう思ったときだった。
「えっ? なんや? 私か?」
 またどっからか声が聞こえてきた。
 何とも賑やかなパーティである。

 ☆

「違う、保科っ。委員長って言ったんじゃない、院長って言ったんだ」
「なんや……院長やったんか。間違えてしもた……」
「いつも俺がいいんちょ、いいんちょって呼んでるせいかな……悪いな、保科」
「ええよ、多分関係ないし」
「ねぇ浩之ちゃん」
「どうした、あかり」
「マルチちゃんの姿が見えないんだけど……」
「何っ! それは一大事だ。あいつのことだ、きっとメイドロボの本領を発揮してお手伝いをしているに違いない」
「働き者だよね」
「しかしっ、問題はそこにある。やる気いっぱいのマルチは、きっと張り切りすぎてとんでもない失敗を……」
 がしゃん。
「きゃぁ〜っ!」
「…………」
「…………」
「…………手遅れだったみたいだ」
「そうだね」
「ふ、ふぇぇ〜ん、またやっちゃいました〜っ」

 ☆

 いや本当に賑やかなパーティだな……見てて飽きないわ。
 こんなにユニークな人々が集まるというのも、ひとえに桂院長の人徳の成せる業か……。
 なんて事を考えている内に、
『それでは、次に、医師の三追司さんからお祝いのお言葉を……』
 しまったっ! 院長のお言葉を聞きそびれてしまった……しくしく。

 ☆

「ねぇ、祐一」
「なんだ名雪」
「さっきから気になってたんだけど」
「何が」
「お母さんの姿が見えないんだけど」
「何ぃ?」
「さっき、お手洗いに行くって言ったきり戻ってこないんだけど」
「道に迷った……ってことはないよな」
「うん、多分」
「……まぁ、秋子さんのことだから大丈夫だろうけどな」
「うん……」
『えーそれでは皆さん、お手元のグラスをお取り下さい』
「おっと、いつの間にか祝杯になってしまってるぞ。名雪、ほら」
「わ、ありがとう」
「あのぅ……」
「はい?」
「すいません、グラス、余ってませんか?」
「え? ああ、どうぞ」
「あ、すいません」
「……祐一、今の誰?」
「俺も知らない……だが、招待客なのは間違いないな」
「うん、胸にバッジ付けてたもんね」

 ☆

 まったく、着くテーブルがないからグラスを取るにも一苦労だな。
 私は苦笑しながら、さっきの仲の良さそうな二人(カップルだろうか?)から離れて歩き出した。
 乾杯する相手もいないというのはちょっと寂しいが……。
 会場を隈無く探せば知り合いの一人や二人はいる筈だが、こう暗くては見つけられない。
『それでは、乾杯っ!』
 チン!
 あちこちでグラスを合わせる音が聞こえてきた。
 さあて、パーティもいよいよ本番だ。
 会場に再び明かりが灯る。
 と、調理室の方から、数々の料理が場内に運ばれてきた。
『それでは皆さん、暫くの間、質素だと思われるかも知れませんが、腕によりをかけた料理の方をお楽しみ下さい』
 質素かなぁ……。
 まぁ謙遜してるんだろうけど。立派で豪華なメニューじゃないかな?
 ああ、そんなこと言ってないで、私もどっかのテーブルで、食い物をつつかせて貰おうっと。

 ☆

 ぐいぐい。
 不意に袖を引っ張られた浩平が振り返ると、澪がスケッチブックを持って立っていた。
「どうした、澪」
『あのね』
「ああ」
『あのね』
「そのパターンはもういいって」
『すごいの』
「何が?」
『お食事、豪華なの』
「ああ、そういうことか。せっかくのパーティだからな、いいものうんと食べないとな」
 うんうん、と満面の笑みで頷く澪。
『いっぱい食べるの』
 そう宣言して、さっそく運ばれてきたお寿司に狙いを定めたようだった。
「みゅー」
 また袖を引っ張られる。今度は椎名だ。
「どうした」
「……ハンバーガー食べたい」
「…………」
「てりやきバーガーがいい」
「…………」
 さすがに、パーティにそんな俗っぽい食い物は出てこないと思うぞ。
「椎名」
「……?」
「諦めろ」
「……えぐっ……」
「(やばい!)」
「あー、いたいた」
「長森……丁度いいところに」
「繭っ、ほら、ハンバーガーだよぉ」
「何!?」
「みゅ〜♪」
「何故こんな所にハンバーガーが出るんだっ!」
「わたしが買っておいたいんだよ」
「なんだ、そうだったのか……」
「…………」
「あれ? どうしたのかな七瀬さん、急に走り出して」
「待て! 七瀬、何だその手に持った袋は」
「い、いいの。気にしないで……」
「まさかお前も……。ぐあ、やっぱり」
「あー、七瀬さんも、繭のためにハンバーガー買ってきてたんだぁ」
「しかもてりやきとは……やるな、七瀬」
「みゅーっ♪」
「あたしバカ? ねぇ、あたしってバカ?」
「そんなことないよ。みんな、繭のこと考えてただけだよ。ね、浩平」
「そうだな……」

 ☆

 どうしてあそこのテーブルにはあんなにハンバーガーがたくさん乗っているんだろうか?
 一個分けてくれないかな……。
 ……あれ? でもそう言えば、ハンバーガー以外の料理がほとんど見あたらないっていうのはどういうワケだ?

 ☆

 ぐいぐい。
「ん?」
『あのね』
 澪が涙ぐみながら立っていた。
「ど、どうした? 澪」
『あのね』
「おう」
『あのね』
「……分かったから落ち着けって」
『利いてたの』
「何が?」
『わさびが利いてたの』
 えぐえぐ。
「…………」
『つーん、ってきたの』
 ぐすぐす。
「…………」
「あー、浩平君が泣かしたー」
「違うぞ先輩。澪はワサビにやられたんだ」
「あ、そうなんだ。気が付かなかったよ」
「あれ? そう言えば先輩さっきからずっと静かだったけど、どこにいたんだ?」
「うん、お食事をしてたんだよ」
「…………」
「でも、もうなくなっちゃったみたいだから」
「…………」
「そしたら、ハンバーガーの匂いがしたんで、つられてこっちに来ちゃったんだよ」
「先輩」
「なに、浩平君」
「まさか料理全部なくなったのか?」
「もう残ってないみたいだったけど」
「…………」
『お寿司も見あたらないの』
 澪がえぐえぐとしゃくり上げていた。
「先輩」
「うん?」
「追加が来ても、先輩は手出し無用な」
「そんな……ひどいよ……浩平君」
「俺、料理に一回も手ぇ付けてないんだけど」
「…………えーと」
『ちょっとだけしか食べてないの』
「……ごめんね、字が見えない」
 はう〜。
「くぉら! みさきっ! あんたあれだけ食ってまだ食い足りないって言うか!」
 びしびし。
「あう〜、痛いよ〜、雪ちゃん」
「あんなに豪勢な料理を一人で平らげておいてっ!」
 びしびし。
「あう〜、痛いってば〜」
「罰として、一週間部室の掃除決定!」
「ひどいよ〜」
『深山先輩、角が生えてるの』
「ううむ。食い物の恨みは恐ろしい……」

 ☆

 なんかあそこのテーブル楽しそうだなぁ……。
 でも料理がハンバーガーしかないんじゃちょっとな。
 向こうのテーブルはどうだろうか?

 ☆

 がつがつ。ぱくぱく。
「おい真琴、そんなにがっつくな。はしたないぞ」
「うー……だっておいしーんだもんっ」
「まぁ確かに、美味いのは認めるが……」
「あら、もう食事が始まってたのね」
「あっ、お母さん、何処行ってたの?」
「ちょっと、途中で知り合いとばったり遇いまして」
「お知り合い、ですか」
「ええ。昔のクラスメートなんですけど、今はここの料理長をやっているんですよ」
「へぇー、こんな一流ホテルの料理長なんて、凄いね」
「ええ、それですっかり話し込んじゃいまして」
「あ、あぅーっ……」
「あら、どうしたの真琴?」
「喉に……」
「ばかっ、急いで詰め込むからだっ」
「ほら、真琴、これ飲みなさい」
 秋子さんが咄嗟に手近なグラスを取って真琴に渡す。
 それを一気に飲み干す真琴。
「……お母さん、今のグラス、ひょっとしてワインだったんじゃ」
「あら、本当」
「え?」
 目を丸くした真琴が、次の瞬間、不意にバッタリと倒れ込んだ。
「うわっ、そんなに早く酒が回るかっ!」
「くー…」
 しかし気持ちよさそうに寝ていた。
「大丈夫そうですね」
「……はぁ」
 頬に手を当ててのんびりと微笑む秋子さんに、思わず溜息をつく祐一だった。

 ☆

 なんか今、一人倒れたみたいだったけど、大丈夫だったのかな?
 ……おや。
 なんだろう、この香ばしい香りは。
 この、パーティ会場に相応しくない香りは……?

 ☆

「……いやき」
 ハンバーガーのおまけについていたアップルパイをかじっていた茜が、不意に何事かを呟いた。
 聞き取れなかった浩平が訊ね返す。
「え? 何だって?」
「……たい焼きの匂いがします」
「たい焼き……?」
 くんくん。
 そう言えばそんな匂いがするが……いや、一流ホテルの食事でたい焼きもないだろう。
 まさか、俺たちみたいに外で買い込んだたい焼きを持ち込んだ奴がいるとか?
 いや、これは焼きたてのたい焼きの匂いだ。と言うことは……?
「屋台が出てます」
 茜が、とんでもないことをさらりと口にした。
「屋台ぃ?」
「はい」
「そんな……」
 バカなことがあるか、そう言いかけた浩平は、茜の凝視する方向に視線を向けて絶句した。
 確かに屋台が出ていた。
 間違いなくたい焼きの屋台だった。
 屋台では、ひとの良さそうなオヤジがたい焼きを焼いていた。
「……行きましょう」
 もはや茜の目には、焼きたてのたい焼きしか見えていないようだった。
 浩平も興味をそそられ、それについて行く。
 たい焼き屋の前には一組の男女がいて、焼きたてのたい焼きに舌鼓を打っていた。
「やっぱりここのたい焼きが一番だな」
「うぐぅ、美味しいよぉ……」
 はぐはぐ。
 その二人の食いっぷりを見ただけで、そのたい焼きのおいしさがうかがえると言っても過言ではなかった。
「たい焼き下さい」
 茜が注文していた。「2つ下さい」
「へい、お待ちっ」
 鮮やかな手付きで焼きたてのたい焼きを紙袋に詰めるオヤジ。職人の技だった。
「浩平も食べますよね」
「ああ」
 袋からたい焼きを一匹取り出して、さっそくかぶりつく。
「…………こ、これはっ」
 そう言ったきり、絶句する。
「……美味しい……」
 茜の頬が弛む。例の、凶悪に甘いワッフルを食べた時と同じ表情で、
「こんなに美味しいたい焼きは初めてです」
 そう微笑む。
「やっぱりたい焼きは焼きたてに限るよねっ」
 先にたい焼きを頬張っていた女の子が、満面の笑顔で話しかけてきた。
「はい」
 茜が笑顔でそれに応じる。何だかこの二人、気が合うのかも知れない。

 ☆ 

 ……ああ、あれかぁ。
 院長さんが、北の方からわざわざ招いたって言うたい焼き屋さんは。
 何でも、日本一美味しいたい焼き屋らしいけど。
 私も一ついただこうかな……。
 あれ? なんだろう、ステージの方が騒がしくなってきたけど……。
 なんじゃ、あのステージの上の棒みたいなのは?……って、あれ、木じゃん。
『えー、皆様お食事中の所申し訳ございません。えー、主催者の意向により、これより、木登り大会を始めたいと思います』
 なんだって?
『木登りの腕に覚えがあるという方、どうぞステージの方へ』
 パーティの会場で、木登り大会はないと思うけど……。ちなみに私は、木登りは嫌いなんだけど。登れないから。
 ……あれ?
 さっきたい焼き食べてた女の子だ。
 まさか、あれに登るっていうんじゃ……?

 ☆

「おいあゆ、お前、あれ登ってこいよ」
「ええっ? ボクあんなの登れないよぉっ」
「木登り得意だもんっ、て昔言ってたじゃないか」
「でも……今日はお洒落してきたから、動きづらいもん……」
「しかしあゆ、あれに登れると、きっと景品とか出るぞ」
「いらないもん、景品なんて」
「たい焼き一年分とか出るかも知れないぞ」
「うぐ……」
 あゆの動きが止まる。
「もし出なくても、代わりに俺がたい焼き奢ってやるかも知れないぞ」
「本当?」
「ああ」
「うん、じゃあ、ボク行って来るよ」
「よしっ、それでこそあゆだ」
「たい焼き奢ってねっ」
「任せとけ」
「約束、だよ」
「ああ、約束だ」
「うんっ」
 ぱたぱた……。
『お、参加者がいたようです。しかも、女性です!』
 観客がどよめく。
『えー、ルールは簡単です。いかに早く、この木のてっぺんに登るかと言うゲームです』
 そのまんまじゃないか、と祐一は思った。
『それでは、位置について……用意……どんっ!』
 おっ、順調に登ってるじゃないか、あゆのやつ……。

 ☆

 うわ……あの子、すっごく早く登るなぁ。
 もうてっぺんまで行っちゃったよ。
『凄いっ、これは凄いっ! 新記録が出ましたッ! 25秒46! 記録更新ですッ!!』
 何だか大袈裟な司会の言葉に、会場全体が大きくどよめいた。
「やったぞ! あゆっ!」
 さっきグラスを取ってくれた男の子がひときわ大きな声で叫んだ。
 それに応えるかのように、てっぺんに登りついた女の子が満面の笑顔で大きく手を振った。
 その瞬間だった。
「……あっ!」
 手を振った女の子が、不意にバランスを崩した。
 誰かが叫んだ。
「危ない!」
 その時には、もう最悪の現実が目の前で起こっていた。
 バランスを崩した女の子は、重力に従い、落下していったのだった。
 不肖夕凪、決定的瞬間を目の当たりにす……なんてヤだな。
 そう思いながら、思わず目を瞑った。

 ☆

 その瞬間、祐一は凍りついたように動けなくなった。
 その脳裏に、あの時の悲劇が甦った。
 目の前で起こっていることは、7年前の再現フィルムでも見ているかのようだった。
 ステージに立てられた木のてっぺんから、ゆっくりと落ちて行くあゆ。
 ぐわしゃんッ!
 ひときわ大きな音が響き渡った。
 ステージの下、そこに置かれていたテーブルの上に、あゆは落下したのだった。
 そして、そこからどさっと床に転がり落ちる。
 奇妙な静寂。
「きゃぁぁぁーっ!」
 誰かが悲鳴を上げ、それが合図でもあったかのように祐一の硬直が解ける。
 同時に、弾かれたようにステージの方へ向かって駆け出していた。
「あゆっ!?」
「あゆちゃん!」
 名雪があとを追ってくる。
 群がる人垣を掻き分け、祐一はステージの前に立った。
 そこに広がっていた光景。
 何かが置かれていたのであろうテーブルの横。
 そこに横たわるあゆ。
 そして、絨毯の上に広がってゆく赤い染み……。
 白い絨毯が、赤く染まってゆく。
「あゆ……あゆっ!」
「……祐一…君…?」
「あゆっ、しっかりしろっ!」
「あゆちゃん!」
 苦しげな表情を浮かべるあゆ。
「祐一君……痛いよ……」
 と、そこに桂医院の医師たちが駆けつけた。
「……これはいけない。三追司センセイ、緊急手術の用意を!」
「ああ、急いだ方がいいな、白羽乃君。よしっ、猿縄君、過共君、担架を!」
「はいっ」
「分かりましたっ」
「箕図君は応急処置の用意を」
「あの、私は薬剤師なんですけど……」
「止血剤の用意だ」
「あ、はいっ」
「あゆ、しっかりしろっ!」
「はは……祐一君……ボク、また落ちちゃったね……」
 力無く笑う、あゆ。
「何言ってんだ……しっかりしろっ」
 ぐったりとしたあゆの身体を抱き起こす。
 と。
「……あれ?」
 泣きそうになっていた名雪が不意に怪訝そうな声を上げた。
「祐一、これ……」
 そう言って、床の一点を指す。
 そこにあった、あゆの身体のかげになって見えなかったもの。
 割れた瓶。
 ラベルには酒類の一種であることを示す文字が。
「…………」
 赤い染みを手でなぞり、匂いを嗅いでみる。
「あゆ……」
「祐一君……ボク、また夢の中に戻っちゃうのかな……また、祐一君たちと、会えなくなっちゃうのかな……」
「いや、それはない」
 キッパリと言い切ってやる。
「うぐぅ……どうして?」
「ほら」
 俺は赤い液体のついた手をあゆの顔に近づける。
 くんくん……。
「ワインの匂いだね」
「そういうことだ」
「…………」
「…………」
「……コホン。あー、白羽乃君、どうやら大事には至らなかったようだね」
「ああ、そうですね。良かった良かった」
「一時はどうなることかと思いましたよね、過共さん」
「ええ、でも、無事で何よりですね、猿縄さん」
「あれ? じゃあ止血剤もいらないんですね」
「そういうことです、箕図さん」
 一時は緊張感に満ちあふれた表情だった桂医院の面々だが、安堵の笑みを浮かべながら会場の中へと消えていった。
「みんなに、大丈夫だって知らせてくるね」
「ああ、頼む」
 名雪が駆けて行く。
「ええと、祐一君……」
「…………」
「もしかして、怒ってる……?」
「…………」
「祐一君……?」
「ばかっ!」
 祐一は思わず、あゆの身体を抱きしめていた。
「えっ……?」
「あゆ……お前がいなくなったら、俺はどうすればいいんだよ」
「…………」
「もう二度と、俺の前から勝手に消えたりしないって、そう約束したじゃないか……ずっと側に居るって」
「祐一…君…」
「ごめんな、あゆ。俺があんな危険なことさせなければ」
「……ううん、そんなことないよっ」
「無事で良かった」
「……うんっ」
 あゆも、祐一の背中に手を回していた。
 しっかりと抱き合う二人に、いつの間にか会場のあちこちから、暖かい拍手が送られていた。

 ☆

 あー、びっくりした。
 どうやら大事には至らなかったみたいだ。
『え、えー、皆さん、大変お騒がせいたしました。間もなくデザートが出てまいりますので、もう少し、お食事の方をお楽しみ下さい』
 司会の言葉に、再び会場が活気を取り戻した。
 ふぅ……。
 しかし波乱に満ちたパーティだな、こりゃ。
 おやぁ?
 あーあ、あっちのテーブル、とうとう酒盛り始めちゃってるよ……。

 ☆

「……ほらぁ、折原も飲みなさいよぉ」
「何言ってんだ七瀬……っておい! 何だその一升瓶はっ!?」
「ひっく……こんなちっこいコップでちびちび飲んでられるかーっ!」
 ぐびぐび。
「マジか……?」
「あはは……酔っちゃってるね」
「長森っ! どうして止めなかったっ!」
「だって、止めるヒマなかったんだもん」
「何よぉ折原、こんな所でまで瑞佳といちゃついちゃって……ひっく」
「いや別にいちゃついているワケじゃ」
「ほら、折原も飲みなさいよぉ」
「いや、ほら、お酒はハタチになってからって言うだろ?」
「ふーん……あたしの酒が飲めないって言うの……」
 うっ。
 ヤバイ。
 目がマジだ…
「い、いえっ、よっ、喜んで、の、のの飲まさせていただきますっ」
「そうそう、そうこなくっちゃねっ」
「大丈夫、浩平……」
「仕方ないだろう。こうなったらとことんつき合うしかない」
「うん、そだね」
「お前も飲めよ」
「えっ、ええ〜っ? わたしはっ……そんなっ、やっぱりマズイと思うよっ。そんな、浩平と一緒にお酒飲むなんてっ、絶対にダメだよっ!」
「…………何故そこまで頑なに否定する?」
「そんな、言えないよっ、そんなことっ」
 実は酒豪なのかも知れないな。
 いや、酒豪なのは茜だったか……あ、そうだ。
「おーい、あかねっ!」
「はい」
 茜が不思議そうな表情を浮かべながら近づいてくる。
「何か用ですか?」
「一杯やろうと思うんだが、茜もどうだ?」
「……。分かりました。詩子も一緒に飲みたいそうです」
「…………特別に許可しよう」
 ぐいぐい。
「ん?」
『あのね』
「分かった。お前も飲みたいんだな」
『そうなの』
「しゃーない。みんなで飲むか」
 やったーっ、と両手バンザイで喜ぶ澪。
「でも本当は、お酒はハタチになってからなんだぞ」

 ☆

 どう見ても、あれって高校生だよなぁ……いいのかなぁ……。
 首を傾げたとき、
『皆さん、お待たせしました』
 司会の声が聞こえてきた。どうやら、デザートのお出ましらしい。
 そう言えば、何も食べてなかったな……。
 デザートだけでも食べないと。

 ☆

「やっとデザートですね」
 秋子さんが言った。
「お母さん、嬉しそうだね」
「ええ、待ちくたびれてしまいました」
 にっこりと微笑む。
「どんなデザートが出てくるか、知ってるんですか?」
「はい」
 秋子さんはあっさりと頷いた。
「さっき料理長に、お話ししておきました」
「何をですか?」
「今日のデザートの件で、材料が急に足りなくなったって悩んでたみたいで、私が相談に乗っていたんです」
「はあ」
「それで、わたしのとっておきをお教えしましたから」
「…………」
「お母さん、まさか、それって……」
 デザートが運ばれてきた。
「……ぐはっ……!」
 テーブルの上に並べられたデザートを見て、祐一は眩暈すら覚えた。
 デザートは全部で3種類あった。
 美味しそうなミニイチゴショートと、シュークリーム。
 そして、鮮やかなオレンジ色をしたゼリーだった。

 ☆

 あっ、これは美味しそうなデザートだなぁ。
 1人につき3つもデザートが出るなんて、凄いなぁ。
 遠慮なく戴くとしよう。
 ぱく。
 うう、この生クリームが何とも言えず美味しいなぁ。
 次はシュークリームか。
 ぱく。
 おお、これもまた、カスタードクリームがなんとも言えずまろやかな。
 最後はゼリーか。
 みかんゼリーかな?
 どれどれ。
 ぱくっ。
「………………」
 ええと。
 うーんと。
 なんと表現したらいいんだろう。
 この複雑な味を。
 と言うかこれ、食い物なのかな?
 あ、これはいけない。
 意識が……
 遠ざかってゆ……く…………………

 ☆

 …………。
 急速に意識が覚醒に向かう。
 ぼんやりとする視界。
 その中に、看護婦の姿が浮かび上がった。
「気が付かれましたか、夕凪さん?」
 看護婦がにっこりと微笑む。
「……ここは」
 言いかけて、辺りを見回す。何処かの病室のようだった。
 当然、自分が寝ているのはベッドの上だった。
「ここは病院です。夕凪さんの他にも、あの会場から大勢の人たちがここに運び込まれました」
 看護婦さんが説明してくれた。
「なんでも、化学兵器が使用されたんじゃないかとか、関係者のひとが仰ってましたけど」
 化学兵器ぃ?
「そんな物騒な……」
「でも、あの会場で、デザートのゼリーを食べたひとのほとんど全員が同じような症状で運ばれてきたんですよ」
 ほとんど全員……?
「あのぅ、ほとんど全員ってことは、一部例外ありって事ですか?」
「え? ええ、そうみたい、ですけど」
「そんな……アレを食べて無事なひとが、いたんですか!」
「ええ、いたみたいです……」

 ☆

「……茜」
「はい」
「お前ならきっと大丈夫だと、俺は思っていた」
「どうしてですか?」
「あの謎の液体さえ飲み干すお前だ。きっとこのゼリーも大丈夫だろうと、俺は薄れる意識の中で確信していた」
「嬉しくないです」
「そう言えば、七瀬や長森はどうした?」
「皆、浩平と同じ状態になってます」
「繭や澪もか?」
「ええ。詩子も例外ではありません。他のテーブルの人たちも同様です」
「…………なんてこった」
「でも」
「でも?」
「川名先輩は大丈夫みたいでした」
「なんだって?」
「あっ、浩平君、気が付いたの?」
「先輩……大丈夫なのか?」
「うん、わたしは平気だよ」
「…………」
「びっくりしたよ。急にみんな倒れちゃったから」
「…………先輩」
「どうしたの?」
「先輩の胃袋は宇宙か?」
「そんなわけないよ」

 ☆

 一方。
「残念です……」
 秋子さんが残念そうに言った。
「でも、早めに帰ったから、混雑しなくて済んだし」
 名雪が言う。
「そうですよ。都会は混雑しますからね」
 祐一がフォローする。
 彼らはそのオレンジ色のデザートを見た瞬間、その後の展開を予想して会場から避難したのだった。
「あぅ……真琴デザート食べたかった……」
「ボク、デザートよりたい焼き食べたかったよ……」
「うちに帰ったら、ちゃんと約束守ってやるからさ、あゆ」
「うんっ」
「私は、アイスが出なかったからからどっちでもいいです。お姉ちゃんは?」
「聞くまでもないと思うけど」
「佐祐理はたい焼きでお腹いっぱいでしたから〜。舞もだよねっ」
「はちみつクマさん」
「…………」
 祐一は溜息をついた。
 そして、夕焼け色に染まる空を見上げながら、ふと思うのだった。
(しかし、何だか……)

 ☆

(……何だか、凄い幕切れだったなー、今回のパーティ)
 病院の天井を見上げながら、そう思う夕凪であった。
 結局、院長さんには会えないし、他の知り合いも来てた筈なんだけどなぁ……。
 ま、いっか。
 今度また、4周年記念パーティにも呼んで貰うことにしようっと。

                                 <終>



 あとがき(のようなもの)

 ネタを思いつくまでに5分。練るのに30分。書くのに約5時間を費やしました。
 普段掲示板に書き込んでるような内容の文章の拡大版です。
 SS、と呼ぶには内容がアレですし、だから一応SSじゃなくって、お祝い文章と言うことで(謎)。
 一応3周年記念パーティが開かれて、そこで起きるいろんな騒動を、招待客の一人である私が見聞きする。
 そんな感じで書いてみました。
 35分で思いついたネタですから、あまり期待しないでくださいね。
 オチはいつも通りですし(笑)

 一応記念なんで、Kanonと最近はまっているONEとちょこっとですが東鳩と、キャラを使ってみました。
 まだまだ拙作の域を出ませんが、ちょっとでも喜んでいただければ幸いです。
 あ、そうそう。
 あゆが落っこちる場面ですが。
 いきなり木登り大会と、強引なストーリー展開ですが…せっかくなんで桂医院の皆さんを登場させたいなと、
 そう思いまして……院長さんのイメージと違うかも知れないですけど、医者っぽい部分を書いてみました。
 でもよく考えたら皆さん精神科だったんですね(笑)

 それでは最後に、桂芳恵精神病棟ののますますのご発展と、桂院長のご活躍をお祈りいたしまして…

                               2000.08.19. 夕凪  



800のコメント
 桂芳恵さんが運営されていたユニークなサイト「桂芳恵精神病棟」は、この作品が寄贈された時、開設からちょうど満3年でした。それからさらに4年を経て、「同級生2」メインのサイトとしてはインターネットでも古参の域に達していた桂芳恵精神病棟が、とうとう閉鎖してしまったのには、一抹の寂しさとともに、流れ去った歳月の長さを改めて感じずにはいられません。
 作品の内容と構成については夕凪さんのあとがきで書かれていますので、繰り返しは避けますが、「桂医院の皆さん」についてだけ補足しておきます。
 桂芳恵精神病棟は名前通り、管理者 桂芳恵さんを院長とする病院の体裁をとり、そのスタッフはこのSSが寄贈された当時、
 ・医師……三追司 有友(さんおいじ ありとも)、白羽乃 いずみ(しらはの いずみ)
 ・看護師…猿縄 唯(さるなわ ゆい)、過共 桜子(すぎとも さくらこ)
 ・薬剤師…箕図 友美(みのず ともみ)
となっていました。それぞれ同級生2のどのキャラの変名であるかは、申すまでもないでしょう。

(2004.11.22)

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