春雨相似夜話−陽の章−『白衣』
制作者 天巡 暦様 拝領 2000年9月1日

 

春雨相似夜話

 

 陽の章  『白衣』

 


 

 揺れる。

 揺れる。

 微かに窓が揺れる。

 繰り返し、繰り返し。

 かといって規則的に揺れているわけでもなかった。

 乱雑で何か子供が面白がっているような感じのリズムで窓が揺れる。

 一つ、二つ、三つ・・・。

 その微かなリズムを裏書きするように、窓が音を奏で始めた。

 

 その時点で、私は初めて窓の異常に気付いた。

 胡乱げな眼差しで窓を見ると、早くも模様がつき始めている。

 窓に舞う水滴達。

 そう、雨が降っているのだ。

 見る間に綺麗に拭かれた窓は雨の水滴によって曇らされ、弾けた雨粒達は窓ガラスを滑り落ちる。

 窓の外では、立ち木が雨に叩かれ梢を揺らし、道路では、早くも雨粒による王冠が並んでいた。

 庭木の幹も見る間に雨を受けて黒く染まり、緑の枝葉も気持ちよさげに揺れてまるでシャワーを浴びているようだった。

 そんなユーモラスな光景が窓の外の至る所で見られる。

 通りを鳴きながら駆け抜けていく犬。

 樋の下から飛び降りて軒下へ逃げ込む猫。

 雨はすべてを騒がしくも変えていってしまう。

 

「友美ちゃん?」

 ぼんやりと窓の外を見ていた私の背後から声がかかった。

 慌てて振り向くと、腰に手をあて、半ば怒った様に頬を膨らませた少女、いや、女性が居た。

 ツーテールに結い上げられていた髪と、時折見せる笑顔は少女と言っても通りそうだが、これでも職場では敏腕でもって鳴る正看護婦をしている。

 大学の獣医学部研究室で、つい最近まで博士号研究生として学生をやっていた私にしてみれば、先に社会人になった彼女は人生の先輩とも言える。

 しかも、今の彼女はれっきとした人妻。

 さらに私の先を歩いているのだ。  

「あ、御免なさい、つい、外の風景に見蕩れちゃって・・・」

 慌ててとりなす様に、謝る私。

 そんな私の姿に、彼女は軽く吹き出しながら言う。

「もう、友美ちゃんって変わらないね」

「え? どう言う事?」

「そんなのどうでも良いことだからいいの。 さ、早く明日の支度をしなきゃいけないでしょう? もう時間がないんじゃない?」

 思わずいぶかしむ私の言葉尻を奪うように、彼女は時計を指差すと、再び、手もとの針に視線を戻した。

 白い薄布をたちまち彼女の手によって針が滑っていく。

 運針がやっとの私には真似が出来ないほど器用に針が彼女の手の中で踊り、しっかりと縫い目は閉じられていく。

 その手際の良さには思わず脱帽してしまう。

「見事なものね」

 唇から零れた私の言葉に彼女は顔を挙げ、にっこり笑うと、

「職場でも、ほら、長期滞在のお年寄りの服とか、繕ってあげる事があるからね」

 そう、なんでもない事のように答える彼女。

 だが、考えてみると看護婦という仕事はイメージとは裏腹に物凄くキツイ仕事と聞いている。

 その合間を縫って、お年寄りの繕いものまで・・・。 

 不意に彼女が好かれるわけが判った様な気がした。

−−−だから、竜之介君も・・・?−−−

 胸に昔の記憶が微かによぎる。

 そう、失恋の記憶が。

 

 

 かつて、彼女の今の夫である竜之介君にもっていた恋心。

 幼馴染でもあり、彼女の義理の兄でもあった竜之介君は私にとって初恋の君だった。

 でも、幼馴染みという近すぎる距離が禍いして距離は縮まらず、無為に過ぎる時間。

 結局、私は告白すらできぬ内に、彼は私以上の制約を吹き飛ばして告白した彼女と結ばれ、高校を卒業と同時に結婚。

 結婚式にこそ、出席したものの、私は逃げるように海外に留学したものだった。

 正直なところ、それが逃避というのは判っていた。

 でも、好きな人が親友の夫になったのだ。

 つねに彼の横で幸せそうに笑う彼女を見なければいけないのだ。

 いっそ彼女達を嫌えたら幸せだろう。

 でも、そうは出来ない。

 親友として何でも話し合えた彼女。

 そして好きだった彼。

 彼らを嫌うぐらいならばと、私は海外に行く便の機上の人になったのだった。

 

 だが、その失恋の記憶もいまは微かな痛みを伴うのみ。

 だから私は、ややからかいを含ませながら笑って言った。

「そうやって竜之介君の服も縫ってあげてるの?」って。

 ところが、急にため息をつく彼女。

 面白くなさそうに、手もとの針に糸を通しながら、

「それがね、ひどいんだよ。 お兄ちゃ・・・いや、主人の服は全部お母さんが縫ってるの」

「え? なんで?」

 私の訝しげな問いに、益々不機嫌そうに、

「お母さんが言うのにはね、『唯は仕事で疲れているでしょう? 家事はお母さんに任せなさい』って。 私だって、お兄ちゃんの世話をしたいのに、これじゃ、結婚前とかわんないよぉ」

 そう唇を尖らせてぼやく彼女の様子があまりにも可愛らしく、且つ、おかしかったので、私は思わず笑ってしまった。

「ふふふふふふっ」

「もう。 友美ちゃんまで笑うの? 私がこの話をすると、みんな笑うんだよ」

 さらに文句を言う彼女。

 ふくらせた桜色の頬がとても愛らしい。

「うふふっ、ごめんなさい、笑ったりして。 でも、それじゃ腕の振るいようがないわね」

「そ。 確かに家事じゃお母さんに負けるのは事実なんだけどね・・・さ、出来た。 こっちに来て、着てみてくれる?」

 ひとしきり愚痴って気が晴れたのか、それとも縫いあがったのでほっとしたのか。

 兎も角、彼女は機嫌を直すと、縫い物を広げて私に見せると、自分の横の床を叩いて見せた。

 私は小さく肯くと着ていた服を脱ぎ、キャミソールとタップパンツだけになって、彼女の横に立った。

「寒い?」

 春とはいえ僅かに肌寒く、腕に粟粒が出来る。

 そんな様子を見て取ってか、彼女が気遣う様に声をかけてくれた。

 私は応える様に首を振ると、安心したようにさっきまで縫っていた服を彼女が着せてくれる。

 幾重にも重なり綾を見せるレースが肌を滑り、艶やかな布地が肌を被う。

 昨夜着た時は緩かったウエストも絞られ、きつかった胸元も緩やかになっていた。

 いろいろ身体を傾けてみて、そのフィット感を楽しむ。

 ぴったりとした絹の滑らかさが心地良かった。

「うん、良い感じ」

 思わず、私の顔も綻んでしまい、満足げな言葉を洩らすと、彼女が大きく肯き、笑いながら言う。

「当たり前でしょ。 一生懸命、唯、頑張ったんだから」

 確かに、その言葉通り、無事にリフォームが式に間に合うように出来たのは、彼女のお蔭に他ならない。

 私だけなら後1週間は固かっただろうし、彼女が見せるほどの仕上がりには程遠いものが出来るだろう。

 結果・・・新品のドレスを買う事になる。

 正直言って、そんな余裕は無い。

 だからこそ、かつて母の着たドレスを仕立て直しているのだから。

「はい、こっち見て」

 姿見で自分を眺めている私の向きを直すと、彼女は手首につけた針山からマッチ針を抜き、裾を仮止めしていく。

 見る見るうちにマッチ針だらけになる裾。

 そして、そこをさっと荒く仮縫いしていく彼女。

 そのスムーズな手際は、見ている方が心地良い。

 マッチ針をくわえた彼女が手で脱ぐように指示する。

 それを受けて、するりとドレスを脱いだ私は再び部屋着のワンピースを纏う。

 ほんの数秒のこと。

 その僅かな時間にも彼女は本縫いを始めていた。

 縫う手を忙しく動かしながらも退屈なのか、話しかけてくる彼女。

「ね、友美ちゃん。 結婚相手の人ってどんな人?」

「そうね、獣医学の仕事をしているのは言ったわよね?」

 私が確認するかのように聞くと、肯く彼女。

 その彼女の仕草に、ふと振り子の水飲み人形を連想し、訳の判らぬ可笑しさを覚える。

 そんな私に気付かぬ様に彼女が続ける。

「うん、金にならない研究ばかりしてる学者バカって言ってたよね」

「もう、いらない事だけは覚えてるのね」

 軽く睨んで見せる私に彼女は苦笑しながら

「えへへ・・・でもね、唯が知りたいのは、友美ちゃんがその人のどんなところを好きになったのかってことなんだけど・・・」

 興味津々って感じの彼女の目が、消えた言葉の先を続けているかのようだった。

 軽くため息をつくと、彼女の望みに応じるように答えていく。

「彼はね、頼れる人ってのが、第1印象かなぁ・・・」

「頼れる人?」

「そ、結構、暢気な人なんだけど、イザと言うときには、そつ無く問題を片付けちゃうし、その上、結構マメな人なの」

 我ながら、少し惚気ているのがわかる。

 だけど、これは仕方ない。

 視界の端に見える時計の横にかけられたカレンダー。

 そのカレンダーは今日までの日付が×印で消されている。

 そして、明後日の日付には、紅いサインペンで花丸が描かれており、その下に小さく「THE X−DAY!」と書かれている。

 そう、X−DAY。

 まさに人生の決戦日。

 つまり人生最大のイベントまで2日しかないのだ。

−−−この時点で惚気ない方がおかしい−−−

 今の私は、最早、そう開き直っている。

 考えてみると、縁とは異なものだった。

 竜之介君に失恋して、研究に生きると誓った筈が、留学先で今の彼と出会った。

 金にならない獣医学の研究に没頭し、世間とは一線を画すほどの世間知らずの彼。

 けれど留学したばかりで右も左も判らぬ私を彼は優しく導いてくれた。

 休暇には帰国せずに二人でスミソニアン博物館を廻り、実地調査と称しては、彼の愛車でイエローストーン自然公園を尋ねた。

 そして、大学卒業記念に二人で行ったグランドキャニオン。

 千の星が歌い、万の星の祝福の中、私は・・・”女”になった。

 そう、”少女”から”女”に。

 寂しげに谷間を渡る風の音を子守唄代わりに、暖かな彼の腕の中で・・・。

 そして・・・そして・・・。

 と、そこまで思考が至ったとき、何時の間にか、私の両の手は火照る頬を被い、視線は何時しか足先ばかりを見つめていた。

 そして、ふと視線を感じ、顔を上げる。

 そこにはチェシャ猫の様にニヤニヤ笑う彼女。

「ね、何を考えてたのかな〜?」

 私は顔を真っ赤にして、惚ける。

「な、なんのことかしら・・・?」

 だが焦り捲った私の様子を繕う事は出来なかったようで、さらに彼女のニヤニヤ笑いは深まっていく。

 日頃は冷静沈着でもって鳴る筈の私も、こんな時には無力だった。

 思わずもじもじして、目も泳いでしまう。

 そんな私の様子に気付いているのだろう、彼女の顔も実に嬉しそうだ。

 やがて十分堪能したのか、

「ま、あの友美ちゃんが堂々と惚気るくらいだから、良い人なんでしょうね」

 そう言って、まるで自分のことのように喜んでくれた。

「う、うん」

 顔の火照りは治まってきたものの、まだ少し赤い顔で答える私。

 なんと言っても自分の想い人を自分の目の前で誉められるのは面映い。

 でも、彼女が本心から喜んでいるのが判るだけに、照れ隠しも言えず、ただ、肯く事で答えた。

 その私を見ながら思い出したように、

「でも、日頃暢気だけれど、イザって言うときは出来る人か・・・良いねぇ」

 そう、続ける彼女。

 どうやらからかい半分本気半分で羨んでいるらしい。

 そんな様子に私はやや怖い顔を作って見せながら、

「何言ってるのよ、貴女の旦那様だって、そうでしょ?」

「そ、そりゃ、お兄ちゃんは頼れるけれど・・・むにゃむにゃ」

 まるでさっきの私みたいに紅くなって手に持ったドレスの中に顔の下半分を埋める彼女。

 調子に乗って、さらにさも意地悪げに声を作って続ける。

「あれ? そうなの? じゃ本当は唯ちゃんは竜之介君の事、いらないんだ・・・・・・じゃ、良かったら、彼も私にくれる?」

 そう言い終えるとニヤリと笑う。

「そ、そんなの駄目ぇ! お兄ちゃんは唯のなんだからね!」

 さっきまで恥ずかしくて染めていた頬がさらに紅潮して茹で上がった林檎のように怒る彼女。

 その様子がたまらなくおかしくって、可愛くって、私は思わず声を上げて笑ってしまう。

「ふふふっふふふふふふっ」

 しばらく大声で笑っていたけれど、目尻に軽く涙を浮べてむくれる彼女に安心させる様に、

「大丈夫よ、今は私には大事な人がいるんだし、親友の旦那様を取るほど暇じゃないから。 だから・・・ね、機嫌直して」

 おどける様に手を合わせながら首を傾げて見せる。

 そんな私の様子に、彼女はようやく苦笑して見せると手をドレスに戻した。

 途端、

「つっ!」

 小さな呻き声と共に、指をくわえる彼女。

「大丈夫? これ貼って」

 救急箱の中から急ぎ救急絆創膏を取り出すと、彼女の差し出す指に巻いていく。

「ごめんね、私が莫迦な事を言ったから・・・」

 休日をつぶしてまでドレスを縫ってくれているのに、と、つい自分の浅慮を責める。

 だが、彼女は私の言った事に気付かぬように私の顔を見つめていた。

「どうしたの? 私の顔に、何かついてる?」

「ううん、ちがうの。 でもさっきの友美ちゃんの笑顔、久しぶりに見た気がしたから・・・前に見たのは高校時代だったし・・・」

 そういって、にっこり微笑む彼女。

 その笑顔を見て、私は、はたと気付いた。

 考えてみれば、帰国してから笑った事が無かったのだ。

 留学先で出会った今の彼と話すときは無論笑うものの、帰国してからは日々の準備に終われてこうやって彼女と話す機会も少なかった。

 2週間前に彼女に帰国の挨拶をしたときも、その後、リフォームを手伝ってくれる事になったときも、さっきほど、心から笑った記憶がない。

 と、いうことは、そんな昔から・・・?

−−−ごめんね、知らない間に貴女には心配かけてたのね・・・−−− 

 思わず、頭を下げる私に不思議そうな顔をしながら彼女は言う。

「ね、急にどうしたの? 急に塞ぎ込まないで、元気出してね」

 そう言いながら元気付けてくれる彼女の優しさがとても嬉しかった。

 その優しさを無にしないために、私はすっと頭を上げると、にっこり笑って見せる。

 私の笑顔を見て満足そうに肯く彼女。

 その彼女の顔が急に強張った。

「いけない、もう7時!?」

 慌て出した彼女はやや乱雑にドレスをケースに直すと、

「これ、明日までに直しておくね。 明日の朝10時にまた衣装合わせに来るから」

 そう言い放ち、バタバタと帰り支度を始めた。

 私は別れ難くって声をかける。

「今夜はおば様に作ってもらったら?」

 私の言葉にしばらく躊躇う彼女。

 だがやがて何かを思い切るように、大きく頭を振ると、 

「うーん、ホントはそうしたいんだけど、今夜はお兄ちゃ・・・主人にある料理を作ってあげる約束をしてるの。 だから期待を裏切るのが忍びがたくって・・・」

「了解。 じゃ、また明日ね」

 私の納得した風に、彼女は心なしか安堵の表情を浮かべると、

「うん、ごめんね、友美ちゃん、またね」

 そう言い置くが早いか、部屋を飛び出していく彼女。

 私はその背を見て、何かの衝動に駆られて、思わず彼女を呼んだ。

 だが、続ける言葉が口の中に消え思い浮かばない。

「唯ちゃん! あの、その・・・」

「なあに?」

 屈託無く聞き返す、彼女。

「・・・・・・・またね」

 何を言うでもなく出た別れの言葉に、彼女は満面の笑顔を浮かべて言う。

「うん、また明日ね。 唯、ドレスの仕上げ、頑張るからね」

 見ていて、思わず心が温かくなるような笑顔。

 その笑顔に、笑顔で私も応える。

 そして、手を振りながら告げる。

「じゃあね、唯ちゃん」

「うん、またね」

 ゆっくりと閉まる扉。

 最後に彼女の笑顔が扉の向こうに消えるのを見ながら、私は呟いた。

 心からの感謝を込めて。

 

「何時も元気を分けてくれてありがと、唯ちゃん」

 

 言葉は静かに風に舞い、かすかに聞こえる雨音に消えていった。

 そう、大地が固まる為に、雨が染み込んでいくように。

 


 


800のコメント
 (株)エルフの三部作「同級生」「同級生2」「下級生」を始め、いろいろなゲームのSS作家として知られる、天巡 暦さんの作品です。
 天巡さんのサイト「恋姫達の社」ではかなり前から、5000単位のキリ番を踏んだ人にSSのリクエスト権を進呈されています。
 私がSS作家として一目も二目も置いている天巡さんに、是非とも友美主演のSSをリクエストしたいと思い、運良く50000番を踏むことができたのでリクエストしました。それがこの作品です。
 9月1日に頂いていたのに、私の個人的な事情のために公開が遅れてしまいました。深くお詫びします。

 ヒロインは私のリクエスト通り友美ですが、元のゲームの主人公である竜之介とは結ばれていません。
 実はそれが、当初からの私のリクエストだったのです。
 私自身は、天巡さんや他のSS作家の方々との比較に堪えるSSを書く才能はありませんが、もし私が友美をヒロインにしたSSを書くことがあったとしても、きっと竜之介と結ばれないSSを書くでしょう。
 我ながら屈折していると思います。でもそれが、友美というキャラクターに対して私が持つイメージなのです。

 これは「陽の章」と題されています。対になる「陰の章」というのもあり、「お昼寝宮」で公開されています。
 天巡さんの手から紡ぎ出されたもう一つの友美の物語、どんな物語なのかお知りになりたい方は、ぜひ「お昼寝宮」を訪れてみて下さい。

(2000.9.11 9.15コメント改訂)
補足
「お昼寝宮」は、2002年3月14日限り、閉鎖されました。長い間のご厚誼に感謝いたします。
(2002.3.15)

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