幸運の手紙
制作者 夕凪様 拝領 2000年6月4日


 <幸運の手紙>


 季節は、冬。
 日本中がほっと一息つくような時期……すなわち、正月を迎えていた。

 もちろん、ここ、八十八町もそうである。
 通りを走る車の量は少なく、駅前に目を転じれば初詣に向かう着物の列も見える。住宅街のあちこちには門松やお飾りが見られ、ちょっとした空き地や川辺では凧揚げや羽根突きに興じる子供達の姿が見られる。そんなのんびりとした風景の中に、もう完全に正月の風物詩となっている……年賀状を配達する郵便局員の姿も見られた。
 そんな正月気分が一段落し、あと数日で新学期が始まろうとしていたその日、日本全国に数多存在する集配普通郵便局の一つである八十八郵便局では、ちょっとした事件が起こっていた。

 八十八郵便局はいわゆる集配普通郵便局……要するに、八十八町内の全ての郵便物の収集・配達業務を受け持ち、同時に町内に点在する12の無集配特定郵便局(郵便物の引き受け・窓口交付のみを担当し、配達は行わない郵便局)を統括する郵便局である。
 八十八町の中心部から若干外れた場所に位置する八十八郵便局は、年末・年始という最も忙しい時期に突入していた。忙しいというのは他でもない、いわゆる年賀郵便物の量が膨大になり、それこそ殺人的な量に達するからだった。
 もちろんこの時期はその膨大な量に対応するためにアルバイトを雇って郵便物の区分作業や配達作業を支援することになる。
 ただし、最も忙しいのは年末までであり、年が明ければ多少は楽になってくる(もちろん、普段に比べて遥かに忙しいという点に変わりはないが)。その頃にはバイトも仕事を覚えるようになるから、仕事の効率も多少は上がってくる。
 アルバイトの内務職員として雇われていたその高校生は、郵袋と呼ばれる郵便物を入れる袋から出された無数の郵便物(そのほとんどは年賀葉書だった)を見て内心で溜息をついた。いい加減に見飽きたなと思ったのだ。
 彼の作業はある意味単純だった。幾人かの同僚(ほとんどが彼と同じバイトである)と共に運ばれてきた郵便物を郵便番号に従って区分するという作業である。ここで区分けられた郵便物はあとで更に細かく(配達ブロックごとに)区分されるのだが、その最初の区分け作業というわけだった。
 本来は高価であるが故に性能も高い区分機が自動的に区分するものなのだが、とてもではないが量が多すぎて機械だけでは捌ききれない、そういうことだった。
 彼はここ数日間繰り返されている作業を開始した。七桁化された郵便番号、その後半の四桁を見て該当するケースの中へ郵便物を振り分ける。
 順調に18枚を振り分けたところで……今日最初の区分不能郵便物が出てきた。即ち、郵便番号が書かれていない郵便物である。
 単純に、書かれている郵便番号だけを見て区分するようにという指示を受けただけのバイトに過ぎない彼は、予め定められたとおりの手順に従った。
 『番号不明』とかかれたケースにそれを振り分けたのである。
 それらは一括して本物の(つまりこういった作業のプロである)職員が担当することになっている。短期雇われのアルバイトに向かって地区名と番号を丸暗記してそれらの郵便物まで区分しろと言う方が酷な話であったし、仕事は単純な方が効率がいいという原則に変わりはない。

 黙々と郵便物を分けている彼らの数メートル向こうでは、『番号不明』と書かれたケースから郵便物を取り出して住所を確認、区分している郵便局員がいた。
 彼は国家公務員L種試験(郵政事務B)の試験に合格し、以来普通郵便局一筋に働いてきた勤労十五年のベテランである。この八十八郵便局に赴任してからも既に四年が経っている。彼は思っていた。俺もガキの頃はよく郵便番号を書かないで葉書とか出してたけど、それでもちゃんと相手に配達されていた。だがあれはこういう苦労があってこそのものなんだよなぁ、と。
 そんなことを考えながら区分する彼の作業速度は、アルバイトたちよりも優速であった。プロと素人でははやりその程度の開きがある、そう言うことだった。
 大抵の場合、郵便番号が書かれていなくても住所さえしっかり書いてあれば(多少時間はかかるが)郵便物は届くものである。収集した郵便物を番号に従って区分する際に、もし番号が書かれていなければ、局員が書かれている住所から郵便番号を調べ、正しく区分するからだ。
 では、もし書かれている住所が不完全だった場合はどうなるだろうか?
 彼はふと区分する手を止めた。住所が不完全な郵便物の登場というわけだった。
 その郵便物には住所として『八十八町』とだけ書かれており、それから店の名前らしきもの、受取人の名前らしきもの(『羅生門』等の作品を執筆した有名な作家と同じ名前だった)が書かれていたが、「八十八町」の後に続くべき地名、地番などが全く書かれていなかった。いかなベテランといえども、これでは区分のしようがない。
 彼はその郵便物についてほんの一瞬興味を抱きかけたが、次の瞬間にはそれを『宛地不明』と書かれたケースの中に放り込んだ。彼の担当すべき郵便物はまだ無数にあり、一刻も早い配達を待ち望んでいる。ほんの僅かな時間といえど、無駄に使うことは出来なかった。
 だが頭の片隅ではこうも考えていた。
 あの郵便物は八十八町内で出されたものじゃなかったな。消印が違ってたもんな。しかし『八十八町』だけでこの局に回されてきたってことは、八十八町近辺の町で投函したものなのだろう。如月町かも知れない。いや、ちょっと遠くの卯月町、先負町あたりかも。だが全く運のいい郵便物だな。きっとそこの局であの郵便物を区分した局員はこの町のことを知っていたに違いない。そうでなければその時点で宛地不完全で配達不能と判断されているはずだ。
 まあ、結局はいま俺が宛地不完全として処理してしまったけれど、これで終わりというわけじゃない。まだ最後の砦がある。配達される可能性が残されているのだ。
 もっとも、最後の砦……配達課であの手紙がどう判断されるかだよな。もし彼らがあの住所(というよりも店の名前)に思い当たるところがなければ、結果は同じだ。

 さて、郵便番号も書かれておらず、住所まで不完全な郵便物はどうなるか。
 一応、配達課に回されることになる。
 実際に郵便物を配達する配達員は、住所が不完全でも宛先を見抜くことが出来る場合がある。大抵の場合それは有名な人物に当てた郵便物であるとか、宛地が有名な場所であるとかだ。しかし、彼らはそうでない郵便物も稀に配達できることがある。
 普段配達に出ている彼らならでは、だが。
 例えば八十八町白浜海岸で番地が書かれていない山田さんを捜す場合。
「ああ、この山田さんは二丁目の白浜荘の山田さんだよ。いつも福島の娘さんから手紙が来るからね」
 とか、
「お、こりゃあ四丁目五番の山田のお婆ちゃん宛だな。海外に栄転した息子さんからエアメールが毎月届いてるんだ。親孝行なモンだよ」
 という感じである。
 ちょっと都会では難しいかもしれないが…。

 さて、その配達課に回されてきた宛地不明郵便物の一つが、その日の配達を終えて戻ってきていた配達員たちの注目を集めていた。
「おい……これって」
「……ああ、どっかで聞いたような気がするんだよな、この喫茶店『憩』って」
「あ、先輩もそう思いました?」
「ああ。だが何故か思い出せない」
 一通の宛地不完全郵便物を取り囲んで、配達員たちは頭を捻っていた。
 と、そのうちの一人が大声を上げた。
「おい! これはひょっとして、あの龍之介か?」
 えっ、と全員が封筒に書かれた受取人の名前を注視する。ベテランの配達員たちが呻きにも似た呟きを漏らした。
「龍之介ってことは……ひょっとしてあの『憩』なのか?」
「ああ、恐らくあの喫茶店に間違いないだろう……」
「えっ? どこにあるんですか、その喫茶店って」
「あ、お前はまだ新米だから知らないか」
「ええ」
「ほら、住宅街の方に、とある医療機器メーカーの社長さんの家があるだろう?」
「篠原さんですか?」
「馬鹿、それは海岸通りの方だ。こっちは水野さんというんだが」
「はぁ……」
「その家の隣に、あるんだよ。問題の喫茶店が。……いや、喫茶店が問題という訳じゃないんだがね」
 中堅の配達員はそう言ったところで何か恐い体験でも思い出したのだろう、身を震わせた。
 別の配達員が首を傾げ、
「俺も知らないですよ」
「お前は……だって海岸通り中心だもんな。ああ、お前さんも、駅周辺が担当だから知らないだろう?」
「ええ、『鴇田』っていうフラワーショップなら知ってますけど」
「俺はその店は知らないが……」
 中堅の配達員が答える横で、若手の配達員が呻いた。
「こりゃあどう見ても女の字だよなぁ……いよいよマジだな」
「つまり……」
 最古参の配達員がほんの僅かに眉を顰めて、言った。
「喫茶店『憩』宛で且つ受取人の名前が龍之介ときた場合、やはりあれなんだろうなぁ、間違いなく」
 八十八町の住宅街に存在する喫茶店『憩』(と言うより、その喫茶店と一体になっている家に住んでいるある有名な作家と同じ名前の人物)にはいくつかの有名なエピソードが残っていた。どういった類のものかは配達員たちのリアクションからも想像できるであろうから、敢えてここでは並び立てないが。
「どうします?」
 中堅が冗談めかして言った。「宛地不明で還付しちまいますか?」
「それは無理みたいですよ……」
 若手が封筒をひっくり返しながら呟いた。
「差出人の住所氏名が書かれてませんから」
「なんとまぁ」
 中堅は口元に皮肉げな笑みを浮かべた。「完全な一方通行というわけか。これを出した女の子はよっぽど慌てていたのか、それとも意図的に名前を書かなかったのか」
「爆発物とか剃刀とか入ってないですよね?」
 若手が(冗談のつもりなのだろう)笑いながら言った。ベテランたちはそれを冗談と受け取らずに金属探知器に通してみた。反応はなかった。
「問題ないな」
「そうですね。還付も出来ない、そして宛先も判明している……となると、あとは誰がこれを配達するか、ですね」
「そうだな」
「…………」
 皆が一様に黙り込む。
 かのブロックに配達に行ったことのある全員が、自分の身を無用の危険に晒すのは嫌だと思った。
「……そう言えばあのブロックには、確かバイトの配達員がいたような」
 若手が思いだしたように言うと、皆が一斉にぱっと表情を輝かせた。
「確かに、相澤とかいう高校生が……」
「おおっ、そう言えばいたな!」
「よし、決定だ。明日そいつに配達して貰おう」
「あ、相澤君だったら今日までですよ、バイト」
 新米があっけらかんとした表情で言った。「さっき帰りましたよ。明日からいとこの家に居候するとかなんとか言って。北の方みたいですよ。寒いだろうなぁ」
「…………」
 別にバイトがどこに引っ越そうが、今の彼らには関係なかった。
 再び配達課に静寂が訪れた。
 数十秒間の沈黙の後、
「よっしゃ新米、お前が行け!」
 中堅がビシッ!と新米の配達員を指差しながら命令するような口調で言った。
 狼狽える新米。
「ええっ? 僕、住宅街の方は配達したことないんですよ?」
 その喫茶店に(というより、受取人に)どういった問題があるのかは知らないが、先輩達の様子からきっととんでもないことが待ち受けているに違いない、できればそんなところには行きたくないよなぁ…と思いながら、新米は抗弁した。
 その肩にポンと手を置いた最古参の配達員が、
「若いの、今のうちにいろんな経験をしておくのは、悪いことじゃあないぜ」
 そう言って笑って見せた。唇の端を吊り上げただけの、奇妙な笑みだった。
 新米は助けを求めるように周囲を見回し……皆が期待の篭もった視線で自分を見ていることに気が付いて覚悟を決めた。
 ここで首を横に振ろうものなら、この封筒は宛先不明・差出人不明郵便物として規定された期間保管された後に処分されてしまうに違いない(彼がそう思いこんでいるだけで実際は彼が断った場合は最古参の配達員が行くつもりでいた)。
 郵便物を早く確実に配達するのが自分の選んだ仕事なんだ。そして自分はその仕事に誇りを感じている。ならば答えは一つしかない。
「分かりました。明日、朝イチで配達に行きます」
 他の配達員が彼を褒め称える言葉を口にしたのは言うまでもない。

 かくしていくつかの紆余曲折を経て、かの郵便物は「八十八町・喫茶店『憩』・龍之介様」宛に配達されることとなる。
 受取人は最初、それを不幸の手紙ではないかと疑っていたが、封を切って中に納められていた便箋を広げて読み始めるに、全く正反対の幸運の手紙であるということに気が付いて喜びを露わにした。
 その幸運の手紙がきっかけで、彼はある女性と幸福な人生を送ることになる。

 もっとも、その幸運の手紙がいかに幸運に恵まれていたかまでは、彼も、そして手紙を差し出した本人でさえも気が付いていない。
 もちろん、幸運を運んだ件の配達員でさえ、自分がどんなものを運んだのかを知らない。しかし彼でさえも、その封筒が(ある意味で)幸運な郵便物であるとは思っていた。たったあれだけの記載事項で配達先に届けられることは滅多にないのだった。

 みんなが幸せだった。
 手紙を配達した新米局員は自分の誇りを守り、且つ、先輩・同僚たちの信頼を勝ち得た。
 彼に配達を頼んだベテラン局員たちは新米が無事配達を終えたことを素直に喜んでいた。
 手紙を受け取った人物は、突然に自分の前から姿を消してしまった女性からの手紙に驚喜していた。
 そしてもちろん、手紙を差し出した本人は、数日後の彼との再会に若干の不安を抱きつつも、期待に胸を膨らませていた。やはり彼女も幸せだった。

 その手紙に関わったみんなが幸せになった。
 とすれば、やはりそれはあらゆる意味で『幸運』を纏っていたのかもしれない。



<作者註>

 ※このお話は言うまでもなくフィクションであり、実在の組織(郵便局あるいは郵便局員等)とは一切関係ありませんのであしからず。
 だから、郵便局に関する記述は全部架空のものです。
 郵便局員のかた、怒らないで下さいね。


<あとがき(のようなもの)>

 このSSは(株)エルフの『同級生2』をもとにした二次創作……のつもりです。
 美沙が龍之介に宛てて出した一通の手紙、それにまつわるお話です。
 この『幸運の手紙』は(あんな中途半端な住所だけで)いかにして配達されたのか?という素朴な疑問がきっかけでした。
 ただ、郵便局の内部とか配達の方法とかは、それこそ小学校の頃の社会科見学で近所の大きな郵便局に行った時の記憶とその時もらった資料、及び最近の新聞報道などを参考にしてますので、かなり実際とは異なっていると思います。
 まぁこういうのも有りかな、と思って書いてみました(^^;)

 感想など頂ければ幸いです〜。

 2000.06.04  夕凪


800のコメント
 (株)エルフのゲーム『同級生2』に登場する女性の一人、田中美沙のシナリオの裏話です。美沙が龍之介に宛てて手紙を書くことに着目した二次創作はたまに見かけますが、それが投函されてから配達されるまでの間に着目した、ユニークな作品です。
 元のゲームが発売されてから5年も経って、いい加減二次創作もネタ切れになったかと思っていましたが、どうしてどうして、まだまだ発想豊かな人の手にかかれば佳品がいくらでも生まれてくる、ということです。私も、もう少し頑張らなくては。
 余談ですが、私の職場は7桁の個別番号を持っている大口事業所で、しかも私と同姓の人はいません。それなら「000−0000 ××(私の本名の姓)様」という宛名書きで私宛に配達されるかどうか、試してみようと思っているというのは、真偽のほどは定かではありません。

(2000.6.4)

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