番外日記
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2002年7月28日(日)
まず つばさシナリオですが、初日に診療所裏手の丘の上で出会った時の印象、そしてシナリオ序盤の印象は、つばさがメインヒロイン8人の中でたぶん最年少であり、自らを「ボク」と呼び裕作を「お兄ちゃん」と呼ぶこと、気管支炎を患っているにもかかわらず診療所内外を飛び回っていることもあって、割とほのぼのとしたものです。そのため、裕作が つばさに対して抱く感情は白風に対するそれに似て、男女の愛情になる様子をなかなか見せようとしません。とはいっても最後までそのままではギャルゲーになりませんから、終盤を前にして つばさが裕作に恋慕の情を打ち明け、裕作がそれに応えることによって二人の関係がはっきりと変わります。それを暗示しているのが、以後つばさの一人称が「わたし」に変わることでしょうか。
それと同時に、つばさの病気が単なる気管支炎ではなく、かつて つばさの母の命を奪い、治療に尽力したクマ先生と朝比奈が苦杯を飲まされた死病であったことがわかって、シナリオが急転回します。進行癌で快癒の見込みは2割もないとわかった時、あらゆる治療手段を用いて抗癌医療を続けるか、それとも死神に抗うことを止め、終焉の遠からぬことを受け容れて、最後の日々をなるべく苦痛を少なく過ごすか。絵空事的要素を排したシナリオにあって、プレイヤーに迫られる決断はあまりにも重いです。
つばさシナリオの分岐は、このゲームの中では最も複雑です。好感度が高くて「治療を続けよう」を選べばハッピーエンドを迎えられますし、「治療をやめよう」を選ぶと好感度がやや低くてもアナザーエンドを迎えられます(好感度によって途中経過が若干異なりますが)。つばさが最期を、裕作と2人きり、夕闇迫る丘の上で迎えるクライマックスに、「Kanon」の真琴シナリオのクライマックスを思い出したのは、きっと私だけではないと思いますが、シナリオ的にはハッピーエンドよりもこっちの方が充実していると思うので、トゥルーエンドと呼ぶにふさわしいです。
しかし、好感度が低いのに「治療を続けよう」を選ぶと、病気と副作用に苦しみながら つばさはあっさりと逝ってしまい、裕作に残るのは「自分の選択は正しかったのだろうか」という疑問だけという、たしかにこれ以上救いのないバッドエンドは想像しにくい幕切れとなります。もし攻略情報を見て好感度をコントロールしながらプレイするのなら、このエンドは最初に見るか、さもなければ決して見ないことをお勧めします。
ちなみに私はどうしたかといえば、最初にバッドエンドを見てから、気を取り直してアナザーエンド(途中経過2種類)を両方見て、その後にハッピーエンドを見ました。その結果、大気シナリオの時とは逆に、ハッピーエンドで つばさが癌を克服して生き延びた結末の救いを、素直に「よかったね」と受け容れることができました。
それと、こんな事はおよそ試してみる価値もないですが、攻略本の記述がちょっと気になって、好感度がどん底だったらどうなるか、を試してみました。すると つばさの告白を裕作が拒み、つばさはさばさばとして転院して、あっという間に終わりでした。

次に空シナリオは、8月11日の夏祭りから始まって9月中旬まで続きます。競技ダンスを志していた空が挫折を抱えて村を訪れ、裕作との関わりの中で立ち直っていく──ところがそんな空を病魔が襲う! でもその病気は手術すれば完治する良性腫瘍で、今年の大会出場を諦めて手術するか、それとも、という選択は つばさシナリオでの「究極の選択」に比べれば悩むほどの選択でもありません。空の伯母にあたる村川ちづる(ギャルゲー史上屈指の「おばさん」キャラでしょう)が何度も顔を出すことも手伝って、このゲームの中では最後まで比較的コミカルな乗りが続くシナリオです。攻略本を見ていて「骨肉腫で足を切断しなければならなくなる」シナリオを想像してしまったのは、私が表面ではお涙頂戴物を嫌っていながら、心底ではそれに毒されていた証拠かもしれません。
ですから、空シナリオの軽くコミカルな雰囲気は、峻厳かつ重すぎる つばさシナリオの口直しにはちょうどいいくらいですが、それでも空が一人で全てを抱え込んでその重さに精神的に耐えられなくなっているのを、裕作が「二人で頑張ろう」と励ますあたりは、つぼを押さえていると思います。

それからメーのシナリオですが、…………感想をうまくまとめられません。
人里離れた高山で世捨て人のような暮らしをしていた研究者の遺児で、子羊のウマソウを友として、下界のことを何も知らずに暮らしているメー。もう一つの舞台となる「森神の森」といい、気象と関係があるらしい「地球の元気」の話といい、他のシナリオが優れてリアリティに満ちているだけに、メーのシナリオの異質さが際立ちすぎて、違和感さえ覚えるほどでした。
シナリオの中心的テーマは、強引な解釈をすれば、裕作がメーから癒しを与えられるだけではだめで、いかにして癒しを与えることができるか──ひとりメーに対してのみならず、人の病を癒すことを使命とする医師として、誰に対しても──ということなのではないか、とも思ったのですが。
それに結末で、裕作は1年後にメーの許に戻ってくるのですが、それが医師の道を自ら捨てた結果であるということにも、何か納得のゆかないものがありました。
(7月31日アップ)

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