番外日記
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2002年4月23日(火)〜24日(水)
このゲームは、ゲームとしては不可解なほど自由度が低くて、女性キャラ6人(森沢奈緒・岩崎ちなつ・津賀島つぐみ・川名由織・早瀬雫・深景(苗字不詳))の、ハッピーエンドに到達できる順序がほぼ固定されています。すなわち第1回と第2回では奈緒または ちなつ、第3回は つぐみ限定、第4回と第5回では由織または雫、第6回で深景。もちろんこれは毎回確実にハッピーエンドに到達した場合で、バッドエンドばかり見ていたらいつまで経っても深景エンドは見ることができないでしょう。たどることのできるルートの順序が決まっているのは「痕」もそうでしたが、さらに制約が厳しくなっています。
ゲームは主人公、松永義博24歳が東陽学園サマースクールの添乗員として、舞台の蜻蛉海岸を訪れる「現在」と、義博が7年前の夏、大いなる挫折を抱いて同じ蜻蛉海岸を訪れ、そこで深景と出会った過去の「回想」とが交互に綴られつつ進行します。サマースクールの喧騒と隣り合わせの静寂、夜毎に見る 人の運命と出会いを織る織女の夢、謎めいた白服の少女と、道具立ては幻想的です。
私が最初にハッピーエンドに到達したのは奈緒ですが、奈緒の時間は1年前から止まっています。今は彼岸にいる「センパイ」との事どもを想い出に昇華できずにいる奈緒には、この海岸も昨年の夏に来た時と全く変わっていないように感じられ、それは義博にも同じように、7年前に深景と出会いそして別れた時とこの海は全く変わっていないように感じられるのですが、義博が奈緒に“夜空の星すらも恒久不変ではない”ことを説いて、奈緒に「変わる」そして「センパイの夢を継ぐ」決心をさせること、これは同時に義博にも、深景のことを想い出に昇華せしめることになります。
シナリオはこんな具合に、まあありがちな話を綴りながら、しっとりとした感銘を残しますが、第1回ではまだ織女の夢や七夕伝説、白服の少女あたりには謎が残ります。これらはプレイを進めるに従って次第に明らかにされてくるのでしょう。
シナリオ的に秀逸だなぁと思ったのは、奈緒ルートのハッピーエンドとバッドエンドを分ける最後の選択で、昔のことを忘れようと思い詰めて理性を失い、義博の前に身体を投げ出した奈緒を受け容れると、そこでバッドエンド確定。つまり仮に肉体を投げ出して、それで本当に昔のことを忘れることができたとしても、それは根本的な解決にはならない、「忘れる」ことと「想い出に昇華させる」ことは次元が全く異なるのだ、という思想が感じ取れます。過去の一時期の事どもを忘却の淵に沈めることは、二度と戻らないその「時」を過ごした自らの人生を否定するだけではないでしょうか、と私も思います。男女関係にかかわる辛い現実あるいは過去から逃避するために、別の男の前に肉体を投げ出す、というシチュエーションがギャルゲーには決して少なくないと思う(それも管見するところ、よりによってelfの「同級生」に2人、それに走るキャラがいます)だけに、それを超克したシナリオに敬服します。
なのですがハッピーエンドに至るルートでは、結局はもっと先に、いつ果てるとも知れぬ(冗談抜きで)長大なHシーンが盛り込まれています。しかもその文章が「言葉で女性を辱める」というのでしょうか、ちょっといやな感じがしました。性行為の否定をさらに推し進めて、「ハッピーエンドに至るルートでは最後までHシーンなし」にしてほしかった、と思う私は偽善者でしょうか?

このゲームは、Windowsゲームとしてのビジュアルノベルの先駆作たる「雫」「痕」に倣ったのかどうかはわかりませんが、主人公の名前が固定されています。そのおかげで女性キャラは全員、必ず主人公の名前を呼んでくれます。
パソコンゲームであれコンシューマゲームであれ、世にあまたある「ボイスつき」のゲームの大半が、主人公の名前をプレイヤーが変更することに充分対応できていないのを見ると、今の段階ではあまり無理しないで、名前を固定したままにしてくれたほうがいいのではないかな、と思います。
(4月25日アップ)

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