番外日記
日記本文へ戻る

2002年1月17日(木)
プレイした人は誰もが「No.1は最後まで取っておくべき」と言うエンディングNo.1「はじまりのさよなら」は、制作元もベストエンドと位置づけていて、つまりこのエンディングだけが加奈が死なないエンディングです。
そこに至るまでの経過も医学的にちゃんと説明がつく、つまり隆道から加奈への、HLA型が完全一致した生体腎移植手術が成功したということなので、いくらひねくれ者の私でも羽付きリュックを背負って「うぐぅ」が口癖な女の子が【奇跡】を起こす、「起こらないから奇跡っていうんですよ」が口癖である某有名ゲームの某病弱キャラのシナリオよりは納得できました。いつだったか「加奈」をプレイしたことのある人が書き込みしている掲示板で、
【この下のパラグラフは、「加奈」に思い入れのある人は読まないで下さい】
極端なたとえをしますが、もし「加奈」に
「とある新興宗教に頼って加持祈祷を受けたら加奈が快復する」
という隠しエンドがあったら、どうですか?
間違いなく、ゲーム史上最低最悪のエンドと呼ばれるでしょう。
という暴言を吐いたことを思い出しましたが、そんな御都合主義的エンディングでなかったのは救いです。
でも加奈が健康を勝ち得たことは、「それだけ」としか感じられませんでした。私としては、たとえ加奈が17歳を一期に儚くなったとしても、その時まで「死をまっすぐに見つめて生きた」ことによって隆道も他の誰も到達できなかった精神の高みに到達し知性のきらめきを見せた、知的ルートのエンディングから受けた感銘が深かったのです。ですから私にとっては、ベストエンドはNo.6でした。
知的ルート(はっきり明記されているのはNo.5と6ですが、No.4でも同じような後日談があったと思いたいです)では加奈の遺志によって香奈への肝臓移植が行われたわけですが、もし加奈が生き延びていたら、肝臓移植を受ける機会を得られなかった香奈はどうなるでしょう?
それより、加奈の遺稿が『命を見つめて』と題して上梓されたことによって、臓器移植に対する啓発が少しでも進んで、香奈だけでなくもっと多くの、今はまだこの世に生を享けてすらいない未来の患者までもがその命を全うする機会をつかめたなら。その時こそあの有名な言葉が、意味は少し違え、現実のものとなると思うのです。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
(ヨハネによる福音書 第12章第24節)
(1月21日アップ 2005年2月27日改訂)

日記本文へ戻る