時は四月の終わり…桜の花も散り始め、木々の緑が増してきた頃のお話。 佐祐理と舞は卒業して、佐祐理は大学に、舞は…何をやってるんだろ、謎だ。 まぁ、だからこそ舞らしくもあるのだが。 今日は麗らかな土曜の午後。GWが間もなく始まろうとしている。 学校も終わり、百花屋で昼食兼オヤツを食べつつ、3人で集まっての談笑中だ。 以前なら例の屋上そばで集まれたのだが、卒業されては仕方が無い。 「新3年生の気分はどうですか?祐一さん」 「うーん、なんていうか実感無いんだよな。進路とか考えた事も無かったし、  そもそも一年前はこっちに来る事自体考えられなかったわけだしね」 そんな世間話を他所に、舞はひたすらイチゴサンデーをパクついている。 舞にイチゴサンデー…何とも形容しがたい組み合わせだが、嫌いじゃないらしい。 というか、舞に嫌いな食べ物なんてあるのだろうか…? 何となくイジワルしてみたくなり、舞の手元からイチゴサンデーを奪う。 じっとこちらを見つめてくる(というか睨んでくる)舞。それを無視してフォークでヒョイと イチゴを摘み、佐祐理さんの元へと運ぶ。 「はい、佐祐理さん。あ〜ん」 パクッ、モグモグ… 「はぇー、ありがとうございます、祐一さん」 「ぶっ!?」「ふぇっ!?」 俺と佐祐理さんの元にすかさず飛んでくるチョップ。 「イチゴ…」 ジトーっと恨みがましい目で俺と佐祐理さんを交互に見つめる。 最近気づいたのだが、これは半泣きの表情らしい。 「ま、舞、ほら、佐祐理のイチゴのサバラン一口あげるから、そんな顔しないの」 「……」 佐祐理さんから差し出されるフォークに黙って口を開ける舞。 そこに反応して、体を乗り出し、かぶりつく俺。 これが漫画だったなら、きっと俺の目はギュピーンという擬態語と共に光っていただろう。 「ん…んまい!」 直後、半泣きの表情でチョップの嵐を見舞ってくる舞。 そ、そんなに悔しかったのか…。 「あ…あはははーっ」 さすがの佐祐理さんも笑いが引きつっている。 ちと、やりすぎたかな。話題を変えよう。 「このサバランってしっとりしてるけど、なんかパンみたいだよな」 改めてサバランを舞に食べさせる佐祐理さんに聞いてみた。 「そうですね、サバランというのはイースト菌も使ってますし、パンに似た作り方をしてますから。  それを焼き上げた後でシロップに浸して作り上げるんですよ」 「へぇ…手が込んでるんだな。しかし、パンといえば、さすがに最近は学食のパンも飽きてきたな」 元々俺は、手軽に食べられる機動力があって経済的にも優しいパンは大好物なのだが、 学食のパンは安い事だけが売りで、取り立てて美味いというほどでもなく、さすがに食傷気味なのだ。 「それでしたら、今度お弁当を作って、祐一さんの教室まで運びましょうかーっ」 「いや、ごめん。俺が悪かった」 ただでさえ目立つ佐祐理さんが、私服姿でお弁当を教室にまで届けて来た日には、 俺は即座に男子生徒から吊るし上げられ、白い目と罵詈雑言の嵐を頂戴するだろう。 「はぇー、謝られてしまいました。持って行きたかったのですが…」 「ほんと大丈夫。気持ちだけもらっておくよ」 何か前にも似たような事があった気がする…。 「その代わりと言っちゃ何だけど、たまには美味いパンが食べてみたいものだな」 「パンですか…佐祐理もパンは焼いた事がないのですみません」 「うん、それなんだけどね。この前、たまたまパソコンで見てた掲示板に、面白い記事があったんだ」 せっかくなので、こないだ暇つぶしで見てた掲示板での話をしてみる。 「○○県××市にある古河パンってパン屋の事なんだけど・・・、そこに奇妙なパンがあるらしいんだ。  ある人は食べた後、頭の中で虹が走ったらしい。そして、またある人は、食べた後、煙に包まれたような  感覚があったらしいんだ」 佐祐理さんは、この話に興味を持ったらしい。ゴクッっとノドを鳴らして俺の顔を見入る。 舞は余り興味が無いのか、今度は俺のホットケーキにまで手を出し始めている。 「虹が走ったり、煙に包まれたり、ですか…はぇー、それって味はどうなのでしょう」 「それがね…あまりの衝撃に味を覚えていないらしいんだ。とにかく、そのパンには触れてはいけない  何らかのタブーがあるらしくてね」 俺は、この話をしつつ、ふと秋子さんのジャムを思い出した。あんな感じなのだろうか?不安が襲う。 佐祐理さんは、何やらブツブツと言いながら宙を見上げている。何となく嫌な予感がするのだが…。 「祐一さん!」 「は、はぇっ!」 急に名前を呼ばれ、さっきの不安からビクっとして変な応答をしてしまう。 「明日の日曜日、その古河パンに行ってみましょう。××市なら、日帰りで十分往復出来る距離ですし」 うわ…佐祐理さんの目が、さっきの俺よろしく、ギュピーンな状態になっている。 こんな佐祐理さん初めて見たよ…。不安が益々増長されてくる。 「あ、あぁ、俺はどうせ暇だしいいけど、舞はどうするんだ?」 出来れば道連れは1人でも多いに越した事は無かった。 「…わたしは、この街から出たくはないから。お土産を買ってくれればいい」 いつもと変らぬ様子の舞。俺が心配性なだけなのか、それとも舞の危機回避能力が優れているのか…? 「じゃあ祐一さん、2人で行きましょう。舞にはたくさんお土産を買ってくるね」 …何とも珍しいお言葉。佐祐理さんからこんな積極的になるなんて、明日は雨でも降るのだろうか。 たとえ明日死ぬ事になろうとも、このお誘いを蹴るわけにはいかない! 覚悟を決め、応える。 「よし、わかった!じゃあ明日は2人で古河パンまでデートだ」 「佐祐理なんかとデートで楽しいとは思えませんが、よろしくお願いしますね。  じゃあ、明日は早いでしょうから、今日はこの辺で解散しましょう」 「ああ。俺も早く帰って遺書を書かないとだしな」 「はぇー、なんで遺書なんて書くんですか?」 いや、何となく生命の危機を覚えてるんだよ、とはさすがに言えない。 「……とどめはわたしが」 「刺さなくてもいいっ!」 突っ込みを入れつつ、席を立つ。 「それではーっ」 「おうっ!」 「……」 いつもの掛け声で、それぞれの帰路へ就く。 家への帰り道、明日は無事にこの道を歩く事が出来るのだろうか?と思いながら…。 …… 翌日の早朝、眠気眼を擦りつつ、待ち合わせの場所に向かう。 秋子さんに事情を話し、小遣いの前借りをすると、隣で聞いていた名雪が 「デートっ、デートっ」 と囃し立てながらもお土産の催促を忘れなかったのはお約束だ。 駅前に着くと、佐祐理さんは既に着いていた。 始めて見る佐祐理さんの私服姿…近頃の女性にありがちな活発かつ大人らしい パンツルックではなく、いかにも清楚な感じのワンピースで、お嬢様風だ。 …くう〜っ!迂闊にも涙が込み上げてきたぜ!!もう今日が命日でも構わないっ!!! 「お待たせ、佐祐理さん」 「おはようございます、祐一さん。そんなに待ってないので大丈夫ですよーっ」 あははーっといつもの笑みをこぼしつつ、全く眠気を感じさせない。 ここで気の利いたヤツなら、そのワンピース似合ってるね、とかお世辞の1つも 言えたりするのだろうが、今の俺にはそこまでの余裕も無かった。 柄にも無く緊張してるんだよっ、悪いか! …… 新幹線と特急を乗り継ぐ事5時間ほど。最初は話も弾んでいたが、不覚にも俺は寝てしまっていた。 しかも、佐祐理さんとの新婚生活なんて、とても甘い夢を見ながら…。 「…いちさん、祐一さん、起きてください」 「ん、なんだい?佐祐理。もう朝か?じゃあ、いつものお早うのキスでも…」 「はぇーっ、祐一さん、佐祐理なんかとキスしたいんですか?」 「へ?もう佐祐理は俺の前では敬語をやめたはずじゃ……って、ここどこ!?」 「祐一さん、お寝ぼけさんですねーっ。ここは電車の中で、古河パンへと向かう途中ですよ」 「うわっ、佐祐理さんゴメン。俺すごい変な事口走って無かったか?」 「あははーっ、気にしてませんよ。今日は朝も早かったですからね」 こういったフォローも相変わらずである。でも、少しは気にして欲しい気もする…。 「いつかは…」 ボソッと聞こえないくらいの声で呟く佐祐理さん。「へっ?」と素っ頓狂な声で反応すると、 真っ赤な顔で俯いてしまった。いつかは…期待していいのかな…。 「ここで降りるらしいですよ。その後の道は、電話帳から住所を調べてみました」 駐在所で住所を教え、道を聞くと、多少時間はかかるものの歩いて行ける距離らしい。 お巡りさんに地図を書いてもらい、お礼を残して後にする。 30分ほど歩き、木々に囲まれた長い坂道を通り、高校らしき学校の脇を抜ける。 「観光気分でこういうのもいいな」 「そうですね、舞も来ればよかったのに」 なんて事を話しながら、公園に指しかかる。地図を見るとこの辺のはずだが…。 「あ、あれじゃないですか?看板が見えます」 「あれか…想像してたよりも、こじんまりとした店だな」 店の外観がはっきりと見える。いかにも個人商店のような小さい店だ。 近所の常連さんで持ってるような感じだな。 「ここに、その噂のパンが眠ってるのか…。」 そう思うと、さっきまでのノンビリとした空気で解けていた緊張が再び体を走る。 恐る恐る近づいていくと、小学生くらいの子が店の前で何やら叫びながらウロウロしていた。 「いらっしゃいませー!いかがですかー。今ならいい子いますよーっ!」 「いい子いますよって何の店だよっ!」 突っ込まずにはいられなかった。末恐ろしい子に成長するな…。 「何の店ってパン屋ですが?」 如何にも子供らしい笑顔で、それでも毅然と応対してくる。 「このパン屋は、こんな小さな子に呼び込みのバイトをやらせているのか…」 「はぇー、今時感心な子もいるものですね」 いや、佐祐理さん、この呼び込みの仕方を見て、そう言う事言えるか…。 「あ、勘違いなさらないでくださいね。わたしはここのバイトではありませんよ。  しばらく居候させて頂いているお礼に今日はお店を手伝っているだけです」 苦笑いしながら、その子は俺たちのやりとりを見ていた。 なんか見れば見るほど、年甲斐も無く(しかも見た目と反して)大人びた印象がある。 まぁ、ここで話し込むのも何だし、早速聞いてみるか。 「そうそう、ここにさ、すごいパンがあるって聞いたんだけど、本当かな?」 「すごいパン、ですか…」 う〜ん、と考え込む少女。心当たりは無いようだ。 「わたしも、昨日からお世話になっているばかりですので、申し訳ありませんが  わかりませんね。良かったら中をご覧になってみればどうですか?」 「そうさせてもらうよ。せっかく遠くから来たんだしな」 佐祐理さんも頷き、店内へと向かう。 「はい、二名様御案内です〜っ!」 やっぱり、あの少女は何か勘違いをしている…。 店内に入ると、やはり小さな個人経営そのままのパン屋だった。 ところ狭しとパンが並び、店内はパンの柔らかい香りで包まれている。 佐祐理さんもパンの香りに御満悦のようだ。 「いらっしゃいませ」 ひょこっと線の細い女の子が顔を出す。年のころは俺よりも少し年下だろうか? セミロングの髪型からのチョロっと2本のクセ毛(通称アホ毛!?)が、印象に残る。 「いい子いますよーっ」との先ほどの少女の言葉を思い出した。確かに可愛い。 …すると、俺の視線に気付いたのか、 「いらっしゃいませ…」 と、今度はドスを利かせた感じの声で男が出てくる。 お世辞にも愛想の良いタイプとは言えない。というか、明らかに俺を警戒しているだろう。 やはり、俺と同年代くらいだ。さっきの通った高校に通っているのだろう。 佐祐理さんは、それまでパンをずっと眺めていたが、もう待ちきれないとばかりに話し出す。 「あのーっ、ここにすごいパンがあると伺って買いに来たのですが」 ピクッっと男の方の動きが固まる。女の子の方には動じた様子は無い。 「あ…あのパンを買いに来たのか…」 男は動揺を隠せないのか、声が震えている。 「はいっ。噂を聞きつけて、■■市からやってまいりました」 「え…そんな遠くからわざわざ来て頂いたのですかっ、ありがとうございますっ!」 深々と頭を垂れる女の子。 「でも、そのすごいパンって何のことですか?」 女の子からの意外な発言。 「どう考えても早苗さんのパンとしか思えないだろ」 「あ、お母さんのパンですか。わたしはいつも食べようとするとお父さんに止められていたのですが、  朋也くんは食べた事があるんですかっ」 「ん?…あぁ、そんな事もあったような、なかったような…」 「わたし興味ありますっ。お母さんのパン、食べてみたいですっ。朋也くん、いいですかっ?」 俺たち2人を完全に無視して話し出す二人。どうやら、この2人は恋人同士らしい。 そして、女の子の方は、このパン屋の娘さんのようだ。 「悪い事は言わん、やめとけ。俺は、これ以上渚にアホな子になって欲しくない」 たかがパン1つにヒドい言い様だ。 ふっと隣を見ると、佐祐理さんも普段のあははーっ笑いが引きつっている。 どうにも口出し出来る状況ではないらしい…。 「なんか、そんな事言われると余計に食べたくなってしまいました。今ならお父さんもいないですし、  お母さんは奥で夕飯を作っていますし、今なら食べてもバレません。ちゃんとお金を出して  買いますので、朋也くんお願いしますっ」 渚…と呼ばれた女の子は顔を真っ赤にして一生懸命説得している。 しかし、朋也と呼ばれた男の方は黙って首を横に振るばかりだった。 なんか、渚が可愛そうだな。ここは止めた方がいいのだろうか…? 佐祐理さんも同じように考えていたのだろう、共に頷きあい、話し出そうとすると…、 「あの〜、お二人さん。お客さんほったらかして何やってるんですか…?」 外で呼び込みをしていた少女が、呆れ顔で割って入った。 「あ、芽衣ちゃん…ごめんなさい」 「いや、謝るのはわたしではなくてお客さんの方にでしょう…」 「そうでした、お客さん、すみませんでしたっ」 またも深々とお辞儀をし、渚が謝る。 「あ、あははーっ。お2人の仲の良いところが見れて楽しかったですよ」 いや、佐祐理さん、それはフォローになっているのか…?